マクドナルド、ケンタッキー・フライドチキン、言わずと知れたファースト・フード業界の大御所だ。
今を去ること40数年前、京都の大学に入学して、初めて行った新京極のマクドナルドと、河原町三条のケンタッキー・フライドチキンの店舗には、そこはかとなくアメリカの風が吹いていた。
田舎のパン屋のハンバーガーや、母親が作る鳥の唐揚げとは歴然と違う、本物のアメリカの味のカルチャーを、私はそこに見たのだ。
テレビや雑誌で見知っていたメイド・イン・アメリカを、手軽に味わえるということは、田舎育ちの私にとっては画期的なことだった。
それらを食べることは、お洒落な若者ファッションの一部だった。
両社とも歴史は長いが、このところの低迷は、そんな黎明期を知る私にとっては残念だ。
低迷の原因は、味のマンネリ化や同業、および異業他社との価格競争、多品目展開等、いろいろ考えられるが、それは何も両社に限ったことではないだろう。
同業、異業他社にしてみても同じことだ。
原因はもっと単純にして根本的なことのように思われる。
マクドナルドのビッグマック、ケンタッキーのオリジナルチキン、どちらも手を汚さずに食べるのに苦労する。
手がケチャップや脂まみれになるのは、周知のとおりだ。
これは不思議なことに、発足当初から、まったく改められていない。
アメリカではどうかわからないが、日本のきれい好きの女性は、まず敬遠するだろう。
両社ともにそこを、まず改めるべきだ。
日本には箸で食べるという文化がある。
ケンタッキーは、骨なしの小ぶりのピースにして、すぐにでも箸対応はできるはずだ。
マクドは・・・自分で考えてみてよ。
今を去ること40数年前、京都の大学に入学して、初めて行った新京極のマクドナルドと、河原町三条のケンタッキー・フライドチキンの店舗には、そこはかとなくアメリカの風が吹いていた。
田舎のパン屋のハンバーガーや、母親が作る鳥の唐揚げとは歴然と違う、本物のアメリカの味のカルチャーを、私はそこに見たのだ。
テレビや雑誌で見知っていたメイド・イン・アメリカを、手軽に味わえるということは、田舎育ちの私にとっては画期的なことだった。
それらを食べることは、お洒落な若者ファッションの一部だった。
両社とも歴史は長いが、このところの低迷は、そんな黎明期を知る私にとっては残念だ。
低迷の原因は、味のマンネリ化や同業、および異業他社との価格競争、多品目展開等、いろいろ考えられるが、それは何も両社に限ったことではないだろう。
同業、異業他社にしてみても同じことだ。
原因はもっと単純にして根本的なことのように思われる。
マクドナルドのビッグマック、ケンタッキーのオリジナルチキン、どちらも手を汚さずに食べるのに苦労する。
手がケチャップや脂まみれになるのは、周知のとおりだ。
これは不思議なことに、発足当初から、まったく改められていない。
アメリカではどうかわからないが、日本のきれい好きの女性は、まず敬遠するだろう。
両社ともにそこを、まず改めるべきだ。
日本には箸で食べるという文化がある。
ケンタッキーは、骨なしの小ぶりのピースにして、すぐにでも箸対応はできるはずだ。
マクドは・・・自分で考えてみてよ。