昭和48年春、九州男児の私は青雲の志を胸に、勇躍、上洛した。
英語が好きで得意科目だった私は、迷わず英文学部を受験し、見事合格したのだ。
当時の英文学部は男女の比率が3:7くらい、クラスによっては1:9と圧倒的に女子学生が多かった。
また、外国人教授も少なからずいた。
そんな英文学部だから、男は引く手あまたで、すぐにでもガールフレンドの2、3人はできるだろう、英会話もノンネイティブ・レベルまで1年もかからないだろうと思っていた。
しかしそれは甘い観測で、現実は非情のライセンスだった。
多過ぎる女の群れの中では、少ない数の男は萎縮し去勢される。
ロックスターには決してなれないのだ。
英会話に至っては、その授業すらなく、ひたすら英文学や英作文、言語学の講義が繰り返されるだけだ。
英文学部というのは、英会話学部ではなく、文字通り、イギリスやアメリカの文学作品を研究する学部なのだ。
当然、授業は訳本頼みで、英会話能力の向上もままならなかった。
当時はNOVAもAEONもないし、あったところで、金を払ってまで行くはずもない。
そんな青春のモラトリアムを、当時の京都の街を背景に、軽妙に活写した、京都青春三部作の第1弾をぜひご購読ください。
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ロックスターには決してなれないのだ。
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