懐かしい昭和の想い出を書いてみた。
私は九州の辺境の片田舎で生まれ育った。
漁村だったので、家の軒先には干し魚が並んでいたり、季節になると、家の前でオバちゃん連中が牡蠣の殻むきをしていた。
道路は舗装されてなくて、車もほとんど通らない道路を、たまにロバのパン屋やアイスキャンデー売りが来ていた。
当時の田舎では、傷痍軍人やゼンモンさんと呼ばれるホームレスもよく見かけたな。
そんな原風景の中で印象に残っているのが、家の近所の駄菓子屋だ。
保育園に通っていた頃から、小学校の1、2年まで、放課後や休日はほとんどそこを拠点に過ごした。
その駄菓子屋は近所の子供の溜まり場、さながら僕たちの社交場、情報の発信基地だったんだよね。
10円玉や5円玉を握り締め、毎日通っていたものさ。
それでも、ガムやキャラメルを1個単位で買って、お釣りが来たんだよね。
店は繁盛していて、その店の年上の息子は、僕ら垂涎のプラモデルをいくつも持っていた。
夕方近くなると、店内のラジオから大相撲中継が流れていた。
栃若時代の末期で、昭和の大横綱大鵬はまだ関脇から大関くらいだったかな。
店の前は観音様で、その境内には土俵があり、僕たちはいつも相撲を取っていた。
週イチの頻度で紙芝居屋が来て、僕たちは観音様の石段に座って、水飴や酢こんぶを食べながら夢中で観ていた。
保育園で見る紙芝居とは違って、ヒーロー物だったので、まだテレビが普及していない時代の最大の娯楽だったんだよね。
僕たちが中学生になった頃には、その店もいつの間にかなくなり、紙芝居屋もいなくなっていた。
昔の人たちは、どこへ行ってしまったんだろう。
僕たちは、子供時代から青春時代への狭間、いわゆる思春期に入っていた。
私は九州の辺境の片田舎で生まれ育った。
漁村だったので、家の軒先には干し魚が並んでいたり、季節になると、家の前でオバちゃん連中が牡蠣の殻むきをしていた。
道路は舗装されてなくて、車もほとんど通らない道路を、たまにロバのパン屋やアイスキャンデー売りが来ていた。
当時の田舎では、傷痍軍人やゼンモンさんと呼ばれるホームレスもよく見かけたな。
そんな原風景の中で印象に残っているのが、家の近所の駄菓子屋だ。
保育園に通っていた頃から、小学校の1、2年まで、放課後や休日はほとんどそこを拠点に過ごした。
その駄菓子屋は近所の子供の溜まり場、さながら僕たちの社交場、情報の発信基地だったんだよね。
10円玉や5円玉を握り締め、毎日通っていたものさ。
それでも、ガムやキャラメルを1個単位で買って、お釣りが来たんだよね。
店は繁盛していて、その店の年上の息子は、僕ら垂涎のプラモデルをいくつも持っていた。
夕方近くなると、店内のラジオから大相撲中継が流れていた。
栃若時代の末期で、昭和の大横綱大鵬はまだ関脇から大関くらいだったかな。
店の前は観音様で、その境内には土俵があり、僕たちはいつも相撲を取っていた。
週イチの頻度で紙芝居屋が来て、僕たちは観音様の石段に座って、水飴や酢こんぶを食べながら夢中で観ていた。
保育園で見る紙芝居とは違って、ヒーロー物だったので、まだテレビが普及していない時代の最大の娯楽だったんだよね。
僕たちが中学生になった頃には、その店もいつの間にかなくなり、紙芝居屋もいなくなっていた。
昔の人たちは、どこへ行ってしまったんだろう。
僕たちは、子供時代から青春時代への狭間、いわゆる思春期に入っていた。
ビートルズのジョージ、ストーンズのキース。どちらもヘタウマギタリストだ。キースに至っては、歳をとってその素人顔負けのヘタさに、磨きがかかってきた気もする。でも、そのサウンドには、他のギタリストには出せない独特な味わいがあるんだよね。 そんな味わいの小説を、Amazon Kindle Storeに30数冊アップしています。★★ 拙著電子書籍ラインナップ・ここから、またはプロフィールのQRコードから買えます。
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