旅の順番から行くと、スペインから始めたいところですが、
記憶に新しいオランダから……。
日本からスペインへは直行便がないため、普通はヨーロッパの
どこかの都市で乗り継ぎをすることになります。
そこで選んだのがオランダ。乗り継ぐスキポール空港というのが
世界的に評判のいい空港で、何度もベスト空港に選ばれています。
それで、以前から見てみたかったこと、それに加えて、
インドネシア好きとしては、宗主国のオランダに行ってみたかったこと、
オランダでインドネシア料理を食べたかったこと、という
かなりマニアックな理由でオランダに行ったわけです。
それぐらいしか頭になかったので、「アンネの日記」を書いた
アンネ・フランクが実際に住んでいた家を訪れた時は軽い衝撃を覚えました。
まさにその家で「アンネの日記」が書かれたのです。
1階には父親がやっていた会社があり、その上の階、
書棚の裏側の隠された部屋で息を潜めて住んでいました。
外へも出られず、大きな声で話すこともできず。
ただユダヤ人というだけでそんな生活を強いられたのです。
でもそれも長くは続かず、だれかに密告されて
結局は収容所送り。そこで殺されてしまいます。
その現実。そこで起こった現実。その場に立っていること。
悲しい気分になりました。
でも、数多くの若者たちがじっくりと展示を見ていたのが印象的でした。
子どものころに読んだ「アンネの日記」、もう一度読んでみなければ。
記憶に新しいオランダから……。
日本からスペインへは直行便がないため、普通はヨーロッパの
どこかの都市で乗り継ぎをすることになります。
そこで選んだのがオランダ。乗り継ぐスキポール空港というのが
世界的に評判のいい空港で、何度もベスト空港に選ばれています。
それで、以前から見てみたかったこと、それに加えて、
インドネシア好きとしては、宗主国のオランダに行ってみたかったこと、
オランダでインドネシア料理を食べたかったこと、という
かなりマニアックな理由でオランダに行ったわけです。
それぐらいしか頭になかったので、「アンネの日記」を書いた
アンネ・フランクが実際に住んでいた家を訪れた時は軽い衝撃を覚えました。
まさにその家で「アンネの日記」が書かれたのです。
1階には父親がやっていた会社があり、その上の階、
書棚の裏側の隠された部屋で息を潜めて住んでいました。
外へも出られず、大きな声で話すこともできず。
ただユダヤ人というだけでそんな生活を強いられたのです。
でもそれも長くは続かず、だれかに密告されて
結局は収容所送り。そこで殺されてしまいます。
その現実。そこで起こった現実。その場に立っていること。
悲しい気分になりました。
でも、数多くの若者たちがじっくりと展示を見ていたのが印象的でした。
子どものころに読んだ「アンネの日記」、もう一度読んでみなければ。