山折哲雄「『始末』ということ」(角川学芸出版)
宗教学者である山折哲雄が、
自分の人生にいかにけじめをつけるか、
80歳を過ぎて考えました。
そもそも、60歳のころ、
葬式はしない、墓はつくらない、
遺骨はひと握りずつ山や海に撒いてもらう、
この3つのことを決めたそうです
(お寺に生まれて、僧籍もあるのに、です)。
そして、国際日本文化研究センターの所長を辞めた
2005年、そのころから、
食べすぎない、飲みすぎない、人に会いすぎない、
そんなことも日々の心得とするようにしました。
これはいろいろな人が言っていることですが、
最近は死そのものが見えなくなっている、
それによって、命の大切さも失われ、
いかに生きるかが分からなくもなってきています。
死はだれにでも平等に間違いなくやってくるもの。
それはいつやってくるか分からない。
死について深く思えば、
当然、いかに生きるか、というところに
焦点を当てるようになる、
そう思うのですね。
そうなれば、いかに毎日過ごすか。
「ものを始末すること」として、
ものの整理についても言及しています。
研究者であった著者の場合、
本の整理が一番悩むところでした。
7000冊ほどは中国の大学に寄付、
それでもまた増えたりしているが、
片付けなければいけないと
脅迫観念のように思っていると片付けられない。
「私が死んだらどうせすべてゴミになる」と考えれば、
思い切ることができる。
あくまで自分の価値基準で考えているから
捨てられないだけである。
自分のいなくなったあと人に迷惑をかけないように、
そう考えれば他者の視点となり、
人から見れば単なるゴミでしかない、
そう思うとこだわりが消え、執着することもなくなる。
それが始末するということではないか。
究極の方法は住むところを小さくすること。
あ~、どれもこれもその通りですね。
この年末年始のいい機会にどかんどかんと
片付け仕事をしようと思っている、まさにこの時に、
いい本に出合いました。
心して取り掛かりたいと思います。本気で。
みなさんも一緒にやりましょ~~~。
そして、こういう1年であったからこそ、
この本を読んで思うところがたくさんありました。
宗教学者である山折哲雄が、
自分の人生にいかにけじめをつけるか、
80歳を過ぎて考えました。
そもそも、60歳のころ、
葬式はしない、墓はつくらない、
遺骨はひと握りずつ山や海に撒いてもらう、
この3つのことを決めたそうです
(お寺に生まれて、僧籍もあるのに、です)。
そして、国際日本文化研究センターの所長を辞めた
2005年、そのころから、
食べすぎない、飲みすぎない、人に会いすぎない、
そんなことも日々の心得とするようにしました。
これはいろいろな人が言っていることですが、
最近は死そのものが見えなくなっている、
それによって、命の大切さも失われ、
いかに生きるかが分からなくもなってきています。
死はだれにでも平等に間違いなくやってくるもの。
それはいつやってくるか分からない。
死について深く思えば、
当然、いかに生きるか、というところに
焦点を当てるようになる、
そう思うのですね。
そうなれば、いかに毎日過ごすか。
「ものを始末すること」として、
ものの整理についても言及しています。
研究者であった著者の場合、
本の整理が一番悩むところでした。
7000冊ほどは中国の大学に寄付、
それでもまた増えたりしているが、
片付けなければいけないと
脅迫観念のように思っていると片付けられない。
「私が死んだらどうせすべてゴミになる」と考えれば、
思い切ることができる。
あくまで自分の価値基準で考えているから
捨てられないだけである。
自分のいなくなったあと人に迷惑をかけないように、
そう考えれば他者の視点となり、
人から見れば単なるゴミでしかない、
そう思うとこだわりが消え、執着することもなくなる。
それが始末するということではないか。
究極の方法は住むところを小さくすること。
あ~、どれもこれもその通りですね。
この年末年始のいい機会にどかんどかんと
片付け仕事をしようと思っている、まさにこの時に、
いい本に出合いました。
心して取り掛かりたいと思います。本気で。
みなさんも一緒にやりましょ~~~。
そして、こういう1年であったからこそ、
この本を読んで思うところがたくさんありました。