カモシーでおいしい夕食をいただきながら、事業者やツアー参加者の方々と
楽しいひと時を過ごした後、気仙沼の唐桑半島にある宿泊場所へ移動。
今回はホテルに泊まる人と民宿に泊まる人と半分に分かれました。
当然ながら民宿のほうが参加費は安く、民宿なら宿の方と話もできる、
そんな単純な理由で民宿希望としました。
ところが、その民宿は名物女将がいる、とても有名な
すごい民宿だったのです。その名も「唐桑御殿(からくわごてん)つなかん」(こちら参照)。
夜遅く着いたので、真っ暗な道をくねくね曲がって、どんなところを走っているか
分からないまま到着。
朝、明るくなってから見たら、こんな立派な御殿でした。
この地域では、漁に出た漁師が帰ってくる時、自分の家がすぐに分かるように、
御殿を建てたそうです。集落の中に、同じような御殿はいくつかありました。
防潮堤を作っているところで、高さは8.1メートル。つなかんから海が見えていたのに、
防潮堤が完成すると、もう見えなくなってしまうそうです。
津波が来た高さは18メートルだったので、防潮堤の8.1メートルは疑問との話。
それに、防潮堤を超えて来た波は、引き波とならず、こちら側に溜まってしまうのではないかと。
朝食の前、みんなでお散歩。
まずは、すぐ裏の八幡神社へ。階段の途中にあった碑。
昭和8年3月3日に発生した昭和三陸津波の被害にこの地域もあっていて、
「地震があったら 津浪の用心」と記されています。
神社の境内からは静かな海が見えます。
急な階段で、ガタガタしていて、こわごわ上がりましたよ。下る時も。
牡蠣の養殖が盛んな地域です。
防潮堤は目の前で見ると圧巻。
宮城県のゆるキャラ、むすび丸がこんなところで活躍中!
充実した朝食。自家製の味噌を使った味噌汁や、ばっけ味噌(ふき味噌)が民宿ならでは。
こんなお土産もいただきました。気仙沼のミヤカンというメーカーがあって、
ツナ缶を販売しているのですが、ネットで検索すると民宿のつなかんのほうが上に出てきてしまう
(会社としては悔しい)、それならコラボしてみよう!というアイデアで、
つなかんに宿泊した人にプレゼントしてほしいと、何箱も持ってきたそうです。
人気のツナ缶のようで、帰りに寄った道の駅でも売っていました。
ありがたや~。
ホテルに宿泊した参加者のつなかんに集合。女将の一代(いちよ)さんのお話を伺います。
つなかんは東日本大震災後に一代さんが始めた民宿です。
詳しい経緯はHPにも説明してあります(こちら)。
東日本大震災の津波で3階建ての建物は柱と屋根を残して、すべて失いました。
牡蠣の養殖をしていた筏もすべて。
当時、気仙沼にボランティアで来ていた学生たちに、屋根さえあれば寝ることはできるからと、
寝る場所を提供していました。延べ1000人以上が泊まり、人々に触れている中、
人とのつながり、触れ合いの大切さを痛感し、民宿を始めました。
被災地応援ファンドの力も借りて、ボランティアにも手伝ってもらい、
始めたのですが、2017年、事故が起こります。
漁業を続けていたご主人たちが乗った船が転覆し、
長女が亡くなり、ご主人と三女のご主人は行方不明となりました。
津波では生き延びたのに、転覆事故で一度に3人の大切な家族を失ったわけです。
その後、民宿は休業。それでも、3カ月後に再開。
忙しくしていないと、悲しくなってしまうばかりと。
そして、苦しみを乗り越え、いえ、乗り越えてはいないかもしれませんが、
明るくて元気な名物女将が戻ってきました(こちら参照)。
少し前のNHK朝ドラ「おかえりモネ」の前、何度も取材に来たそうです。
ストーリーの中に、そういった体験談が盛り込まれているとか。
撮影の時には気仙沼の人がエキストラでたくさん協力していて、
女将もバッチリ出ていたそうです。
でも、ドラマは悲しいことを思い出してしまうかもしれないと、
全然見ていないそうです。
また、船には一生乗らないと決めているとも。
明日は何が起こるか分からないから、今を生きる、
つらい経験をした人の言葉はとても重かったです。
今を生きる。
楽しいひと時を過ごした後、気仙沼の唐桑半島にある宿泊場所へ移動。
今回はホテルに泊まる人と民宿に泊まる人と半分に分かれました。
当然ながら民宿のほうが参加費は安く、民宿なら宿の方と話もできる、
そんな単純な理由で民宿希望としました。
ところが、その民宿は名物女将がいる、とても有名な
すごい民宿だったのです。その名も「唐桑御殿(からくわごてん)つなかん」(こちら参照)。
夜遅く着いたので、真っ暗な道をくねくね曲がって、どんなところを走っているか
分からないまま到着。
朝、明るくなってから見たら、こんな立派な御殿でした。
この地域では、漁に出た漁師が帰ってくる時、自分の家がすぐに分かるように、
御殿を建てたそうです。集落の中に、同じような御殿はいくつかありました。
防潮堤を作っているところで、高さは8.1メートル。つなかんから海が見えていたのに、
防潮堤が完成すると、もう見えなくなってしまうそうです。
津波が来た高さは18メートルだったので、防潮堤の8.1メートルは疑問との話。
それに、防潮堤を超えて来た波は、引き波とならず、こちら側に溜まってしまうのではないかと。
朝食の前、みんなでお散歩。
まずは、すぐ裏の八幡神社へ。階段の途中にあった碑。
昭和8年3月3日に発生した昭和三陸津波の被害にこの地域もあっていて、
「地震があったら 津浪の用心」と記されています。
神社の境内からは静かな海が見えます。
急な階段で、ガタガタしていて、こわごわ上がりましたよ。下る時も。
牡蠣の養殖が盛んな地域です。
防潮堤は目の前で見ると圧巻。
宮城県のゆるキャラ、むすび丸がこんなところで活躍中!
充実した朝食。自家製の味噌を使った味噌汁や、ばっけ味噌(ふき味噌)が民宿ならでは。
こんなお土産もいただきました。気仙沼のミヤカンというメーカーがあって、
ツナ缶を販売しているのですが、ネットで検索すると民宿のつなかんのほうが上に出てきてしまう
(会社としては悔しい)、それならコラボしてみよう!というアイデアで、
つなかんに宿泊した人にプレゼントしてほしいと、何箱も持ってきたそうです。
人気のツナ缶のようで、帰りに寄った道の駅でも売っていました。
ありがたや~。
ホテルに宿泊した参加者のつなかんに集合。女将の一代(いちよ)さんのお話を伺います。
つなかんは東日本大震災後に一代さんが始めた民宿です。
詳しい経緯はHPにも説明してあります(こちら)。
東日本大震災の津波で3階建ての建物は柱と屋根を残して、すべて失いました。
牡蠣の養殖をしていた筏もすべて。
当時、気仙沼にボランティアで来ていた学生たちに、屋根さえあれば寝ることはできるからと、
寝る場所を提供していました。延べ1000人以上が泊まり、人々に触れている中、
人とのつながり、触れ合いの大切さを痛感し、民宿を始めました。
被災地応援ファンドの力も借りて、ボランティアにも手伝ってもらい、
始めたのですが、2017年、事故が起こります。
漁業を続けていたご主人たちが乗った船が転覆し、
長女が亡くなり、ご主人と三女のご主人は行方不明となりました。
津波では生き延びたのに、転覆事故で一度に3人の大切な家族を失ったわけです。
その後、民宿は休業。それでも、3カ月後に再開。
忙しくしていないと、悲しくなってしまうばかりと。
そして、苦しみを乗り越え、いえ、乗り越えてはいないかもしれませんが、
明るくて元気な名物女将が戻ってきました(こちら参照)。
少し前のNHK朝ドラ「おかえりモネ」の前、何度も取材に来たそうです。
ストーリーの中に、そういった体験談が盛り込まれているとか。
撮影の時には気仙沼の人がエキストラでたくさん協力していて、
女将もバッチリ出ていたそうです。
でも、ドラマは悲しいことを思い出してしまうかもしれないと、
全然見ていないそうです。
また、船には一生乗らないと決めているとも。
明日は何が起こるか分からないから、今を生きる、
つらい経験をした人の言葉はとても重かったです。
今を生きる。
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