江戸東京博物館にあった街頭テレビ。
わが国のテレビ放送は、1953年(昭和28年) 2月にNHKがテレビの本放送を開始。その年の8月には民放でも放送が開始されます。
しかし、放送開始直後のテレビ(受像機)は大変高価なもの。本放送の前年に発売された松下電器製のテレビ第一号機(17インチ白黒)の価格は29万円。当時の高卒・国家公務員の初任給が5400円だったといいますから、その約50倍以上もした超高級品だったのです。
現代だと750~800万円相当に値します。ざっくりいえば高級車(輸入車)の価格ですね。
当時テレビは一般庶民にとって高根の花。これでは視聴者数が増えず、民放では番組に対するスポンサーが見込めません。
そこで、当時日本テレビ放送網の社長だった正力松太郎氏は、1つの作戦に打って出ます。それがこの「街頭テレビ」でした。
民放のテレビ本放送がはじまる10日前から、関東各地のデパートや駅、公園など人の集まる場所に街頭テレビを設置し始めます。
設置されたテレビのサイズは17型〜27型だったので、家庭用のサイズと変わりません。しかし、道行く人々は足を止め、人混みをぬうようにして街頭テレビに食いつきました。
テレビ受像機を販売する前に「テレビが面白い!」という体験を先に提供したこの作戦は大当たり。テレビを楽しむ人々は爆発的に増えていきました。
街頭テレビで、大相撲やボクシング、プロレスなどが放送されると観衆は大興奮。1954年(昭和29年)に放送された初のプロレス中継。大相撲出身の力道山と柔道の木村政彦コンビがアメリカのシャープ兄弟に立ち向かったタッグマッチは大きな評判を呼び、東京・新橋駅前の街頭テレビには約2万もの人が詰めかけたといいます。
夢と希望に満ちた戦後の時代。当時テレビは夢のメディアでした。
それから60年余り、大きく時代は変わりました。