虹色仮面 通信

神出鬼没なオッサンが毎日感じたことを取り留めなく書き連ねます

街頭テレビ

2018-05-20 06:47:32 | メディア

江戸東京博物館にあった街頭テレビ。

わが国のテレビ放送は、1953年(昭和28年) 2月にNHKがテレビの本放送を開始。その年の8月には民放でも放送が開始されます。

しかし、放送開始直後のテレビ(受像機)は大変高価なもの。本放送の前年に発売された松下電器製のテレビ第一号機(17インチ白黒)の価格は29万円。当時の高卒・国家公務員の初任給が5400円だったといいますから、その約50倍以上もした超高級品だったのです。

現代だと750~800万円相当に値します。ざっくりいえば高級車(輸入車)の価格ですね。

当時テレビは一般庶民にとって高根の花。これでは視聴者数が増えず、民放では番組に対するスポンサーが見込めません。

そこで、当時日本テレビ放送網の社長だった正力松太郎氏は、1つの作戦に打って出ます。それがこの「街頭テレビ」でした。

民放のテレビ本放送がはじまる10日前から、関東各地のデパートや駅、公園など人の集まる場所に街頭テレビを設置し始めます。

設置されたテレビのサイズは17型〜27型だったので、家庭用のサイズと変わりません。しかし、道行く人々は足を止め、人混みをぬうようにして街頭テレビに食いつきました。

テレビ受像機を販売する前に「テレビが面白い!」という体験を先に提供したこの作戦は大当たり。テレビを楽しむ人々は爆発的に増えていきました。

街頭テレビで、大相撲やボクシング、プロレスなどが放送されると観衆は大興奮。1954年(昭和29年)に放送された初のプロレス中継。大相撲出身の力道山と柔道の木村政彦コンビがアメリカのシャープ兄弟に立ち向かったタッグマッチは大きな評判を呼び、東京・新橋駅前の街頭テレビには約2万もの人が詰めかけたといいます。

夢と希望に満ちた戦後の時代。当時テレビは夢のメディアでした。

それから60年余り、大きく時代は変わりました。