ラリードライバーの篠塚建次郎さんが18日、膵臓がんのため長野県諏訪市の病院で死去したことが分かった。75歳だった。
ダカール・ラリー(旧名称パリ・ダカ)で、97年に日本人初の総合優勝を果たした篠塚さん。
「シノケン」の愛称で呼ばれ、日本を代表するラリードライバーであった。
東海大在学中にラリーを始め、三菱のファクトリー・ドライバーとして、71年・72年と全日本ラリー選手権シリーズ優勝。
以後、日本を代表するドライバーとして海外でも活躍。
サファリラリー入賞、WRCアイボリーコースト優勝と輝かしい戦績を残した。
「シノケン」といえば、やはりパリ・ダカールラリーのイメージが強い。
パリ・ダカには、86年から参戦し、97年の優勝は日本人初の快挙だった。
「シノケン=三菱・パジェロ=パリ・ダカ」は80年代後半から90年代にかけて、日本のラリーシーンでは絶対の存在でした。
そのおかげで、パジェロは大ヒットし、他社から競合車種も誕生しました。
どこだか忘れましたが、一度篠塚さんをお見かけしたことがあります。
おそらく、2003~2004年ころだったと思います。
その頃はすでにラリー界の偉人だったのですが、そんな感じを微塵も見せない(控えめな)方だった印象があります。
きっと、あの世でも名車パジェロを駆り、大砂漠を疾走しているんでしょうか。
もしくは、一緒に戦った旧友たちと再会し、昔話に花を咲かせているのでしょうか?
ご冥福をお祈りいたします。
ダカール・ラリー(旧名称パリ・ダカ)で、97年に日本人初の総合優勝を果たした篠塚さん。
「シノケン」の愛称で呼ばれ、日本を代表するラリードライバーであった。
東海大在学中にラリーを始め、三菱のファクトリー・ドライバーとして、71年・72年と全日本ラリー選手権シリーズ優勝。
以後、日本を代表するドライバーとして海外でも活躍。
サファリラリー入賞、WRCアイボリーコースト優勝と輝かしい戦績を残した。
「シノケン」といえば、やはりパリ・ダカールラリーのイメージが強い。
パリ・ダカには、86年から参戦し、97年の優勝は日本人初の快挙だった。
「シノケン=三菱・パジェロ=パリ・ダカ」は80年代後半から90年代にかけて、日本のラリーシーンでは絶対の存在でした。
そのおかげで、パジェロは大ヒットし、他社から競合車種も誕生しました。
どこだか忘れましたが、一度篠塚さんをお見かけしたことがあります。
おそらく、2003~2004年ころだったと思います。
その頃はすでにラリー界の偉人だったのですが、そんな感じを微塵も見せない(控えめな)方だった印象があります。
きっと、あの世でも名車パジェロを駆り、大砂漠を疾走しているんでしょうか。
もしくは、一緒に戦った旧友たちと再会し、昔話に花を咲かせているのでしょうか?
ご冥福をお祈りいたします。