私には、家族旅行の思い出がない。介護、介護の日々だった。
最初に癌を患ったのは母方の母、つまり私にとっての祖母を母が介護する。数年後、祖母が亡くなり、ひとりになった母方の父・祖父と同居することになるのだが、ほどなくして祖父も癌を患う。祖父も入院を拒み、自宅療養を選択。介護といっても子どもだった私が積極的にお手伝いをしていたわけではなく、介護はもっぱら母の務めだった。冷たいようだが、両親に愛情を抱いていた私もなぜか母方の祖父母にはそれほど強い思い入れを抱けず、家族四人の中によそ者がひとり加わった感覚がぬぐいされなかった。思春期を迎えた私が、母に反抗している様子を祖父が何も言わず黙って見ているのも居心地が悪く、よく二階の自室に逃げた。祖父が亡くなった時、泣いている母を除き、父をはじめ私も弟もどこかほっとしたようなお葬式だったように思う。
ようやく家族だけで暮らせるかと思ったら、父方の父・祖父が脳卒中で倒れ、自宅療養となる。長男の嫁として、母が再び介護生活をスタート。父の実家は我々の家から近く、同居ではなく、母が出向いて祖母と一緒に介護することとなった。父方の祖父に至っては何度も救急車に運ばれながらも一命を取り留め、私が社会人になって数年後に亡くなるまで十年を越える介護生活だった。
そんな介護の連続で子どもの頃から家を空けることのなかった我が家が、父方の母・祖母の後押しもあって介護中にも関わらず、一度だけ伊勢に一泊旅行することになった。その日を指折り数え、心待ちにして向かった当日、母が知り合いから紹介されたという宿は、旅館に程遠いさびれた民宿。さらに驚いたのが、それまで家族四人で旅行に行ったことのない我が家が初めて旅行という日、台風が直撃するという偶然。何もない宿。どのお店も早々に閉店していく中、私は地元の小さな書店を見つけ、三島由紀夫の『潮騒』を購入。嵐の夜、暴風で窓や扉がガタガタと鳴る中、『潮騒』を読んだ。
朝になると台風は通り過ぎていたが、一泊だけの我々は朝食後、チェックアウトとなる。「どこにも観光に行けなかった。伊勢に来て、伊勢海老すら食べていない。これのどこが旅行なんだ。」と文句を言いつつ、「普段しないことをしたから嵐が来たんだ。」と家族みんなで笑いながら帰った。
私も結婚し、家族旅行に行くことがある。唯一の家族旅行で泊まった宿の名前も夕食の献立も覚えていないのに、三重に向かう高速道路ではいつも「伊勢・台風・潮騒」とセットで思い出す。