努力によって難関大学の受験に成功した。努力によって資格試験に合格した。
これってスポーツの世界とは、かなり違いがあると思いませんか。
スポーツの世界は結果であり、受験は、ほとんどが「紙」の中の世界だと思うの
だが。
つまり「実力」とは、かなり隔たりがあると思いませんか。
小学校の先生の資格に疑問を持ってしまったのです。
がり勉タイプの「努力」で、校長先生になれてしまったらどうしますか。
能力ではなく技術で資格試験に合格してしまった人を、どう評価したら良いので
しょう。
不良になってしまった子を、どう助け出すか悩む先生と、その不良にいじめられ
た子を助けるために、その不良の子をどう罰するかを考える先生がいたら、
どちらが評価されるのかな…?。
これがサバイバルになったらどうしよう。
小学校の児童全員の命が、校長先生の決断にゆだねられている。あと5分しか
ない。どう非難すればいいのか?、がり勉タイプで大丈夫なのだろうか。
教育委員会に電話が通じない、5分たってしまった。
これが警察官だったらどうなのだろうか。
凶悪犯の拳銃がこちらに向いている。その銃口の1キロ先には小学校がある。
とりあえず今の所、自分には当たる心配はない。だからハンドスピーカーで説得
を続ける。
犯人が警察官の頭上に威嚇発泡をした。その射角はちょうど小学校に着弾する
角度だ。
これは日本の安全ボケが原因なのだが、かなりの確立で児童が一人射殺される
と、だれもが思はないのだ。
言いたいのは、この時がり勉タイプは犯人を、絶対に射殺しないだろうと言うことだ。
射殺はまずいよ。と言うグループの方達、では逆に1キロ先の小学校に向かって、
45口径を発射できる総理大臣がいるのか、だろう。犯人の銃は当たらず、総理
大臣の銃は、当たったら大変、なのだろうか。
やっぱり、がり勉タイプの努力家は、職業にもよるが面接を重視して採用を判断さ
れるべきだ。