Chun日記~両足脛骨欠損症の娘をもった父親の育児&子育て奮闘日記

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「障害を持つ子が育つということ」&「障害を持つ子を産むということ」

2008-08-22 00:21:23 | インポート
「障害を持つ子が育つということ」&「障害を持つ子を産むということ」
これらは 先天性四肢障害児父母の会のご家族の体験談をとりまとめたものである

これら二冊の本を読むとなんだか感じること

いろんな家族がいて いろんな病院がありいろんな先生がいて
いろんな周りの人がいて いろんな感じ方 考え方があるね
本当に人それぞれ

それぞれが その状況の中での精一杯
たぶん家族も 先生も看護婦さんも保健所の方も…

ちょっとだけ こういう体験記をよんだことがあったりしたひとや 人の気持ちに敏感な人が
ちょっとだけ 運良く覚悟が出来る環境をもらった家族が
ちょっとだけ 時間に余裕が取れて 一患者のために睡眠時間を割けた医療関係者がいるかどうか
そんな偶然に事態は左右される気がする


産まれて来た我が子に障害があることが判った時の家族の反応は それまでの人生の踏み絵であるような気がすると誰かが書いていた
今となってはよく判る
私はたぶん 一生忘れない。あの時のことを。
あの時の周りの対応や、助けてくれた人達のことを。


育てて行く中での様々な苦労
それらは やはり希少な疾患であるがゆえの先の見えない不安が 大きなウェイトを占めるように思う

どうしたって 医師に、ろくに知らないような疾患名を言われて 「詳しくは判りません」とだけ言われれば 普通はパニックだろう
でも 医師には その一患者のために 治療法を調べきる時間やネットワークなどない
だからして 家族に対しての話し方や 気持ちの伝え方が大切


大きくなって行く過程では 持っている障害について できることできないことについて周囲にいかに伝えるかが難しい
もちろん 役所の制度の理解や利用も難しいし 補助の有効活用も難しいけど(^_^;)



しかし やはり何度よんでも…
我が家のような悩み方をした例は…あんまりないなぁと思うのであった
うーむ


運命だったんだとしたら
たぶん 私を強くしてくれるために敷かれた運命なのかもしれない
おかげで人が変わった


運命は変えられないけれど、その中での進み方は自分で決めることができる
最近 そう思う


コメント (2)
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