義足って。
使う前には不安だらけだった。
毎日毎日、そのことばかり気になった。
使い初めも大変だった。
度重なるトラブル、手入れや傷の手当て。
いろんなことが手探りでわからなかった。
それが今や。
義足についての会話など、ほぼ無い。
たまには、寝る前に断端が荒れている話をして、手入れをアドバイスするのと、ライナーの手入れを手伝ったりするくらい。
その時間以外は、本人も忘れている。
いや、正確にいうと考えていないだけか。
階段を下りるときは大変だし、いろんな場面で、皆と同じようには動けなくてなやんでいたりするし、体育関連では諦めざるを得ない動きも多いから。
この歳になると、できること出来ないこと。やれないことはないけど大変なこと。
自分なりにわかってくる。
幸いに娘は、「やったことがなくてやってみたい」というものを、片っ端からやらせているから、自分なりに指標が出来ている。
だから、なんというか自然に自分でいろんなことを判断できているようだ。
だからして。
たまに、式や部活の発表、移動なんかで、どうするか迷うと相談してくる。
自分なりに悩んだ後で。
私なりに一緒に考え話をする。
今は小学校の担任の先生や補助の先生が話しやすいから、相談して決めたことを後から聞くこともたくさん。しっかりして来たなと感じる。
いつの間にか、大きくなった。
先天性下肢欠損や内反足などで悩めるご両親様。
我が家の娘さんは、ここまで来られました。
たしかに、家族一丸、大変なこともありましたが、私たち自身驚くほどに娘は義足のおかげで、たくさんのできることを獲得しつつあります。
我が娘より軽度だったり、片足だったり。
もし片足の膝だけでもあるならば。
本当にできないことは、工夫次第で限りなく少なくできるように、今の私は感じています。
だから、どうか。
お子様の可能性を信じてあげてください。
決して「可哀想」ではありません。
娘は義足を幼少期から使いこなしながら、いろんな壁にぶつかりながら。
自分なりになんとか乗り越えて来ました。
順風満帆ではなかったし、あまり満点な親ではなかったけれど。
私たちも娘からたくさんのことを学びました。
「可哀想」など、とんでもない。
「ありがたい」ということばがぴったりくる。
そんな存在に娘はなりつつあります。
あまり、そんなことを言うと叱られるかもしれませんが。
本当に、素敵に成長してくれています。
義足って。娘には当たり前に履いているものだから。
本当にもしかしたら、毎日の手入れが必要なハードコンタクトみたいなものかも。
たまに、目が痛くてできなかったりすると、メガネに変えたりできないから、きついけど。
そんな感じに近い感覚かも。本当に。
義足にも、やはり予備は必要だよなぁ
成長が止まれば、メガネよりも年齢とともに視力がどんどん落ちていくことはないけれど。
痩せたりふとったり、筋肉が落ちたりすると履けなくなる。
そんなところは似て非なる感じかも。
ふと、考えたつぶやきでした。
おやすみなさい。