私が子供の頃は、戦後の焼け跡の時代でした。進駐軍がジープに乗ってきて、ガムを貰った記憶がかすかにあります。彼らは全部同じ顔に見えました。
国民全体が貧しかったので、子供の私たちが遊ぶ物がありませんでした。おもちゃはありましたが、すぐに飽きてしまう簡単なものしか無かったので、遊ぶのは外がいちばんでした。
幸い田舎に住んでいたので、野山が遊ぶ場所になりました。林に入りワラビを探し、田んぼでドジョウをとり、川でフナやアユを追いかけました。秋はキノコ狩り、そして山栗を生で食べ、ヌリデのしょっぱい実をなめては吹き出し、冬は田んぼのツンツンでた刈り跡を下駄の歯でけずって、その下駄でスケートをしました。
ある日、川で遊んでいたら長いものが泳いでいます。「とーちゃん、へびだ。」と大声をだすと、父が田んぼから大急ぎで駆けてきました。父は蛇でなく、ウナギだと言い、すぐにつかまえました。もちろん、その日の晩飯はウナギでした。そんなことも思い出します。
そんな幼い頃の生活が今でも忘れられず、一夏のうちに少なくても一日は魚とりに出かけます。私は釣るのではなく、網で追いかける取り方です。子供の頃は釣りなんて高尚な遊びはやりません、いや、道具がないのでやれませんでした。
今はフナなどを捕ってきます。それを池や水槽に入れて泳がせます。水槽にはフナのほかにドジョウが泳いでいたり、マルタがいたり、ボラの子供がいたりします。水槽の中を見るのはなかなか面白いものです。金魚を飼っている人は多いと思いますが、私には金魚ではつまらない。飼うとしたら、水槽の中の彩りを添えるくらいの程度にしか考えません。
数年前に、田んぼの縁の小川で魚を探していたら、取り残された掘りの水たまりにメダカが沢山泳いでいました。このままでは、持ち主の考えが変わり、掘りの水を抜いたり、あるいは埋めてしまったら、ここのメダカは絶滅してしまうと思って、自信はありませんでしたが、少しすくいとって自分の池に放してやりました。
彼らは元気に泳ぎ回り、子供ができてふえました。それを従兄弟がそれを見て欲しいというので分けてやりました。ところが、何の不具合が生じてか私の池のメダカは居なくなってしまいました。ごく小さな池だったので、カエルに子供を全部食べられてしまったのか、あるいは水が夏の太陽の下で湯になってしまったのか。
井戸のコンクリート枠、これを「コガ」と私の地方では言いますが、これに底を付けて水がためられるようにしてある、もう一つの池があります。これに、先日従兄弟が、私のところから持っていったメダカの子孫を少しもってきてくれました。里帰りみたいです。この池なら水の量も多いし、大丈夫かなと思っています。これが今元気に泳いでいます。来春は子供ができればと期待しています。
ところで、彼らの祖先のいた、その掘りは今はなくなってしまいました。細々とですが、彼らの子孫が我らの池で元気に泳いでいるのです。もし、自然の中で彼らの安住の地を見つけることができたら、彼らの一部をもどしてやりたいです。