車を駐車場にとめて関跡に向かうと、町の集会所から出てきた子供たちが、やたら親しく話しかけてきました。そのうちの一人がラーメンの臭いがするんです。「ん? ラーメンの臭いがするな。」というと、「あそこで食べたんだ。あそこラーメン屋なんだよ。」と言いまた良い臭い。彼らは、写真を撮ってくれとしきりに言います。「で、どうするの?」と聞くと、あそこにある郵便局に届けて置いてくれといいます。そんなこと言ったって、、、。まあいいかと撮りました。ひょっとして、ここに来る人だれでも良いからいつも頼んだりして、、、。
そういう田舎の子らしい子供たちとの会話で、ある話をおもいだしました。奥の細道のなかに、馬をかりる場面があります。そのときに、子供が二人ついてくるのです。その二人の様子は書いてありませんが、馬の後先になったり、道草をくったり、かん高い声で話をしたりする様子が想像されます。それをおもいだしました。ついでにその子の一人女の子で かさね と言います。
かさねとは八重撫子の名なべし 曾良
芭蕉は、馬にお金をつけて帰すわけです。
小高くなっている、うっそうとした森の関跡にあがると、上に神社があり、歌碑がありました。一つは三人の歌が並べて書いてあり、もう一つは後鳥羽天皇の歌碑でした。歌は後に紹介します。
三人の歌 後鳥羽天皇の歌
また、藤原隆家の植えたという樹齢800年の大きな貫禄のある杉があったり、義経が源氏の旗を立てたところだという場所が示してあったりしました。しかし、むやみやたらにそういうものがあるわけでもないので、たたずまいはたいへん落ち着いています。
近くに、町の人たちあるいは訪れてくる人たちが楽しむような、「関の森公園」というものがありましたが、この関所のたたずまいを著しく邪魔するものではありません。そうこうしているうちに、お昼の時間になりましたので、さっきの子供が食べたラーメン屋に入ってみたのですが、入ってびっくり。全部テーブルがふさがっているのです。外からはそのように見えませんでした。ここも有名な白河ラーメンの店なのでしょうか。おいしかったです。
帰り道は旧道を通りましたが、こちらは道幅が狭く寂しい道路です。何年前だか、おそらく30年くらい前になると思いますが、最初にここに来たときには、この旧道を通りました。やはり境の明神がこちらにも一社ずつあるし、「従是北白川領」と書いてある石もたっています。伊王野という所で、国道294号線と合流します。