そばを打ってみたら・・・

2010年12月23日 | Weblog
 ブログの更新をするときには、音楽を聞きながら行うことが多いです。なんでも手当たり次第に目についた CD をかけています。ジャズが続いたり、クラシックになったり、あるいはネット・ラジオでダウンロードをしたものを聞いたりしています。

                             

 キーを打つ手をやすめて、しばし聞き入ったりしています。なかなか良いものですよ。今日は ビル・エバんス の ピアノ です。                              

 

 夜の月です。三脚も使わずシャッターはオートなのでぼけています。今の私の頭の中みたいです。ぼけていると、くよくよしたりしないで済みますから楽です。あまり楽をしていると、本当にボケるので要注意です。でも、「相棒」の再放送などを見て、天災じゃなくって天才刑事に刺激されたりしていますから大丈夫かななんて思っていますけど、なんか安心の仕方が少しおかしい。

 でも、この写真は何となく絵のような感じがしませんか。宮沢賢治の何かのお話の挿絵のような感じがして気に入っています。

 

 で、こっちが昼間のお月さんです。こっちのほうは、商店じゃなくって、どうしてこういう変換をするのかなあ。で、焦点が合っていそうですが、手前の木の枝に合っちゃっているのかも知れません。

 ところで、その漢字変換なのですが、木の枝という変換をしないんですよ。「気の」「絵だ」と変換して、「木の枝」という変換は絶対にしない。この IME 辞書ってのはおかしな辞書ですね。こういうソフトをくっつけて売りだしているわけですから、マイクロソフトってのは気に入らないですね。きちんと仕事をしたまえと言いたくなりますよ。他の会社の辞書を使わせたくないんでしょうね。

 

 そばを打ってみました。下手くそで hachiさん に笑われそう。でも、おいしかったですよ。下手でも蕎麦は蕎麦だと思って食べました。打ち粉が少し足りなくて、折りたたんだのが二枚くっついてしまったところもありました。

 のし棒が無いのですりこぎ棒を使いました。すりこぎ棒は短くて大変でした。板もないので食卓を板にしました。こね鉢はプラスチックのボールです。こうなったら、どうせなら製麺機を使っちゃった方がいいかも知れませんね。無いけど。幸い食べる方は舌が鈍感ですから、どんな出来でもおいしく食べられます。

 

 昨日は冬至でカボチャを煮てもらいました。そして柚子のお風呂。今時のカボチャもおいしいものですね。品種は「めちゃくちゃ」です。何と何と何の交配なのか皆目分からなくなってしまいました。でも、カボチャになっているし、しっかりカボチャの味はするし・・・・・。僧侶なし。


 

   牡丹の黒木さしくべゐろりべや
   ほかほかとあらむ冬日おもほゆ            北原白秋
         目が見えなくなった白秋に牡丹園から枯れた牡丹の木が届くいた時の歌。
         牡丹園では牡丹の木を焚いて供養をするのだそうです。

   廃 句
   
      年賀状 終えてすっきり ウォーキング
      年賀状 心のしこり  スッと取れ
      犬連れて 今日もトボトボ 田舎道
      スーパーの 裏で猫らに にらまれて
      猫十匹 体寄せ合い 暖を取り
      世の仕組み ガタガタになって しまったね    いじくり過ぎたからね
      それよりも 早く雇用を 多くして
      
            
   補) 僧侶 = monk モンク → 文句     つまり、文句なし