人は希望がなくては生きていけないでしょうが、あまりにも強かったり実現不可能と思われるものでは、一定の時間が経過した後のかなえられなかった時の落胆は大きく、場合によっては立ち上がれなくなってしまうことがあります。
スーパーに行ったときに、ふと「コーヒー牛乳が飲みたい」と思いました。たぶん年齢的には高校生のころから二十歳過ぎの頃にかけて、コーヒー牛乳をよく飲みました。その前は、あの袋から粉をスプーンですくいあげ、コップに入れて水を注いでのんだ、 ワタナベのジュースの素 です。その前は、美味しい飲み物はありませんでした。
それで、探したところこれが近いかなと思って買ってきて飲んだところ、たぶんこれは昔のと同じくらいの味だと思いました。それに、これ1リットルもあるのに安い。そうか。今で言えばコーヒー牛乳って、カフェ・オレだったんだ。俺の飲み物 カフェ・俺 。
その程度の望みならいとも簡単にかなえられます。そして、小さな喜び。見つからなかった時にはがっかり。少し落胆。その「少し」という程度で良いのかも知れません。会社を起こすとか興す人は、そんな小っちゃな望みではだめですけれど。
ズッキーニは大幅に出遅れてしまいました。種を蒔いたところ、全然出ませんでした。待てど暮らせど石を蒔いたのでもあるまいに、さっぱり芽が出ず目の前は真っ暗。でもないですけど。
種が古かったんでしょう。それでまたチャレンジしてみたら世の中がパッと明るく感じました。芽がでてくれたのです。
半日とひと晩、行方不明でした。夜になったら雨がしきりに降り、まだ子どもで経験が乏しいのに大丈夫なのかと心配しながら寝ました。一番心配なのは自動車事故です。
そしたら何と、実家に里帰りしていたらしくて、子猫をくれた人が抱っこして連れてきてくれました。ホツ。小さな命は無事でした。安心。
ブラックベリーの花
他人を知りたいと思ったら、自分の心のなかをのぞきこめばよい。 シラー