いま、辰濃和男と言う人の書いた 『 ぼんやりの時間 』 と言う本を少しずつ読んでいるのですが、ぼんやりしている時間というのは、とても大切な時間なのだそうです。
そう言われれば、私も現代人の端くれですが、気が付けばいつも何かを求めてせかせかと何か考えています。
例えば、今日は晴だから、とりあえず草むしりでもするかとか、いや待てよ若い内しか ( もう若くはないのですが ) 出来ないんだから、どこかに出かけて気晴らしをするかとか、いやいやホームセンターに行って、先日からスマホのノートに書きためている買い物のリストをみて、それをまず買って来ようかとか、おっとその前に今日は何か逃れられない予定があったかを見てからだな・・・・、などなどどんどんどんどん考えてしまいます。
ボーっとしているどころか、薄目を開けて寝ちゃっています
ボーっとしていると、此の世に存在している嬉しさや幸せさ、それから希望やらなにやらを次々と感じたりするもので、たとえば山のぼりをしていて木陰でボーっといっとき休みボーっとするときになど、そう言うことを思うものだと言うのです。
確かにそう言うことはあり得ますね。いつもセカセカとしているのも良い?のかも知れませんが・・・・・。
ハクビシンに注意!
草むしりなどしていると、まあ手は機械的に作業をしていますが、脳の中はボーっとしているかも知れません。
しかし、あれやこれや明け方の夢のように、急に関係のないシーンに移って行ったり、そこから様々な思いが自由に流れて行くなんてことを感じます。
そんな時には楽しいです。でないと草むしりなんてのは苦痛以外の何ものでもありませんからね。
昔の街道筋の風景
それが良いのだと学者が言ってくれると、有難いことにホッとします。「 それでいいんだ 」 と嬉しくなります。
この頃は単純に嬉しい時には喜ぶことにしています。すると楽しいものです。お前はバカかなんて思うこともありますが、バカですと思えば良いです。他人には、いま私がバカになっていることなど分かりゃしない。
バカだと退屈しませんから。いわゆる、自分の世界に遊ぶということですね。
この本には、もっともっといろいろなことが書いてあります。なかなか面白いです。
草むしりを寸暇があればやっています。一本の草に種が20箇出来て、それが地上に落ち全部が発芽したら、一本の草が20倍に増えるわけです。それが10本あったら? 50本あったら? ・・・・・・・ ゾーっとしますからねー。
何とか晴れてはいたのですが、夕方になったら曇ってきて、霧雨より少し粒の大きな雨が降ってきました。
今年は、もうとっくに梅雨の時期に入っているはずなのですが、いわゆる梅雨らしい降り方はしませんね。
ザーッと降ったらずーーーーっと降らないでいて、そのまま降らないです。雨水を溜めている水槽の水が少なくなってきました。
モグラ塚の上を草刈り機が通ると、すごく埃が舞い上がります。それでいて時期は梅雨なのだそうです。
方程式とおりの季節ではなくなって来ているような感じがするのですが・・・・。