麦踏み

2006年02月14日 | Weblog

麦踏みをやりました。今年初めてです。今まで遅れてしまったのは、怠けてしまったことがありますが、もう一つの理由はできなかったからです。

どうして出来なかったかと言いますと、雪が降ってしまったからです。そんなことが理由で? なんて言われそうですが、そうなんです。雪のあとは、いつまでも地面がベチャベチャとしていますので、下手にやると泥と一緒に麦が靴に付いてきてしまいそうな気がしていました。

もう今になれば大丈夫です。霜がおりては乾燥しの繰り返しで、ずいぶん土がさっぱりしてきました。それで昼前にちょっとやったのですが、どうも今年は成長が著しく遅いような気がしてなりません。

昨年は、厚蒔きで藁が細くなり、倒伏を招いてしまいました。倒伏しても穂は上を向いてくれて収穫はできました。しかし藁は穂が上に向いた分、曲がってしまいました。私は藁をスイカやキュウリの敷きわらに使いますが、その敷きわらが弧を描いてしまったのです。まあ、たかが敷きわらですから、どおってことはありませんでした。

そんなことで、今回は薄蒔きをしました。そのせいか、なんかパラッとした感じがします。薄すぎたかな? しかし、麦踏みをしたので、これから分けつしてもっと茂ってくれるかも知れません。

まあ、そう思っていましょ。もともとは、春先の強風で土が少しでも飛ばされるのを防ぐために蒔いたものですから。でも、作る以上はちゃんと作りたいものだ。


白河の関 2

2006年02月13日 | Weblog


車を駐車場にとめて関跡に向かうと、町の集会所から出てきた子供たちが、やたら親しく話しかけてきました。そのうちの一人がラーメンの臭いがするんです。「ん? ラーメンの臭いがするな。」というと、「あそこで食べたんだ。あそこラーメン屋なんだよ。」と言いまた良い臭い。彼らは、写真を撮ってくれとしきりに言います。「で、どうするの?」と聞くと、あそこにある郵便局に届けて置いてくれといいます。そんなこと言ったって、、、。まあいいかと撮りました。ひょっとして、ここに来る人だれでも良いからいつも頼んだりして、、、。



そういう田舎の子らしい子供たちとの会話で、ある話をおもいだしました。奥の細道のなかに、馬をかりる場面があります。そのときに、子供が二人ついてくるのです。その二人の様子は書いてありませんが、馬の後先になったり、道草をくったり、かん高い声で話をしたりする様子が想像されます。それをおもいだしました。ついでにその子の一人女の子で かさね と言います。
 
      かさねとは八重撫子の名なべし   曾良

芭蕉は、馬にお金をつけて帰すわけです。
 
小高くなっている、うっそうとした森の関跡にあがると、上に神社があり、歌碑がありました。一つは三人の歌が並べて書いてあり、もう一つは後鳥羽天皇の歌碑でした。歌は後に紹介します。


           

            三人の歌          後鳥羽天皇の歌

また、藤原隆家の植えたという樹齢800年の大きな貫禄のある杉があったり、義経が源氏の旗を立てたところだという場所が示してあったりしました。しかし、むやみやたらにそういうものがあるわけでもないので、たたずまいはたいへん落ち着いています。


近くに、町の人たちあるいは訪れてくる人たちが楽しむような、「関の森公園」というものがありましたが、この関所のたたずまいを著しく邪魔するものではありません。そうこうしているうちに、お昼の時間になりましたので、さっきの子供が食べたラーメン屋に入ってみたのですが、入ってびっくり。全部テーブルがふさがっているのです。外からはそのように見えませんでした。ここも有名な白河ラーメンの店なのでしょうか。おいしかったです。

帰り道は旧道を通りましたが、こちらは道幅が狭く寂しい道路です。何年前だか、おそらく30年くらい前になると思いますが、最初にここに来たときには、この旧道を通りました。やはり境の明神がこちらにも一社ずつあるし、「従是北白川領」と書いてある石もたっています。伊王野という所で、国道294号線と合流します。



もみ殻燻炭の袋詰め

2006年02月12日 | Weblog


残っているもみ殻は、しばらく前に一部を残して全部をくん炭にしました。完全に燃焼が終わってから、なお念のために少し置いたら幸い雨が二度ほど降ってくれたので、もう大丈夫だろうと思って袋詰めにしました。


                   何でもとっておくと役にたつものですね。


しかし、かなりの量を作ったので、こんなに袋の数が多くなってしまいました。そのまま袋をあけたままにして置いて、中の水分を少し飛ばそうと思っていたところ、また雨が来そうになったので、その上の部分を塞ごうと思ったのですが、さて何を使おうか。

と、その時に目に入ったのが、今は使わなくなってしまったサツキ用の植木鉢。これを二つずつ乗せて重しにしました。

        
               去年作ったものがまだこんなに残っています。


昨年は友達が花の苗床にすると、いく袋か持っていったのですが、それでも使い切れず、と言うより使う分量がどのくらいが適切なのか、まだよく分からなかったり、使い忘れた場合もかなりありましたので、かなり残っています。今年は作るだけでなく、どんどん使うことにします。


片づけはじめる

2006年02月11日 | Weblog


昨日は、山仕事でお世話になった人が、置いておいたユンボを取りにきました。そのときに、軽トラが山の中を走れるように、一部木の株などを取り除いてもらいました。また、山(林)に入るのに傾斜がありますが、そこをすこしゆるやかにしてもらったり、軽トラの進路に横になっている太い幹を多少移動してもらったりしました。

それで、いよいよ片づけを始めることにしました。まずは山に入るのに、先日伐採の際にゴミとして盛り上げた、枝や幹の切れっ端などの山の端を、丘を切り取るようにチェーンソーで切り分け片づけました。上からジャーっと切り下ろしの繰り返しをやって、やっと通路を確保。

                        点線の下が取り払った部分

それから、山(林)に軽トラをいれ、まずはホダ木の運搬からです。あちこちにホダ木を切って置きましたので、まずは手前から積み始め、その先の進路近くにある小枝や太めの枝なども切り分け、ずっと置くまで入れるようにしましたが、あちこちに切り株があるので、なかなか思うようには通路はできませんが、やっと荷台に積んだり、枝をよけたりしながら何とかある程度までは進めるようになりました。


          まずはホダ木から。ある程度積んでからその上に枝を満載します。

昨日だけでは、とてもホダ木の運搬だけでも終わらせることはできません。それに生木ですから、90cm程度に切った幹や太枝はかなり重いです。そうとう汗をかきました。


                           枝は枝でまとめます。


仕事をしながら運動ができるなんて、一石二鳥というもんです。そう言い聞かせながら、決してあわてずにやるしかありません。ただ、キノコの菌を打ち込むタイミングさえ遅れなければの話ですが。杉や檜の太い幹の切断はその後です。


                  太めのは太めのでまとめておきます。

この作業をやらないと、裏山は伐採された木が乱雑にずっと散らかったままです。かと言って休息も必要ですので、今日は休みにしました。指も休ませないと、関節が痛くなったり、もうすでになってしまっているバネ指がひどくなりますから。

こうなるとユンボが欲しくなりますね。



白河の関

2006年02月10日 | Weblog


先日話をした、「遊行柳」のわきの国道294号をさらに北に向かうと、栃木県から福島県に入ります。その県境にお宮がふたつ、境の明神があります。それぞれ名前がありますが、それは省略しまして、この「境の明神」は栃木県側に一社、ほんの少し離れて福島県側に一社あります。下の写真は栃木県側の神社です。



県境、昔なら「国境(くにざかい)」、には昼なおうす暗い杉林の中に 「従是北白川領(これよりきたしらかわりょう)」と書いてある石が立っています。「おお、国境なんだな。ここを越えれば、奥州つまり陸奥の国に入ることになるのだ。」と、単に境だけでなくほかの何かを越えるという気持ちになります。



福島県側のお宮は、やはり国道沿いですが、もっと高い峠の頂上あたりにあって、さらに鬱そうとした杉林の中にあります。しかし、ここには関所らしいものはさっぱり見あたりません。ただ騒がしく断続的に、無関心な様子の車の往来があるだけです。そのまま北に進めば南湖公園の近くを通り、白河市の市街地に入って行ってしまいます。



境の明神を過ぎてから国道294号線を北に1~2kmくらい行って右に折れ、曲がりくねった道をしばらく進むのですが、あたりは何の変哲もない、ごく低い山をいくつか越える田舎道です。関跡にたどりつけるか多少不安になるのですが、そこを我慢して進むとちょっとした街に出ます。その端の方に関跡があります。

奥州方面に出る境のあたりにある関所。太平洋側では茨城と福島の境あたりにある勿来の関(なこそのせき)、内陸部ではこの白河の関、そして日本海側では新潟と山形の県境付近にある念珠ヶ関(ねずがせき)と、この3つが有名です。



この白河の関跡は小高い丘になっていて、大きな杉の木の茂る森になっています。古代から人が住んだあとがあるところだとか。丘の上の方には神社があり、その脇には掘りの跡がありました。関跡は、実際はどこか分からなかったのだそうですが、江戸期調査した結果ここであることが分かったのだそうです。

先日紹介した、「侍塚古墳」は水戸黄門が発掘調査したそうですが、こちらは白河(川)藩主であった松平定信が調査したという話です。

しばらくこの関跡の前にたたずんで、いろいろと昔のことを想像したりしてみました。義経はここを越えたのだ。西行も越えたのだ。   .............



       都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関  能因法師





 


山仕事

2006年02月09日 | Weblog


昨日は朝から晩まで、まる一日山仕事をしました。朝の8時に先日に木を倒してくれた人がユンボを持ってきました。これでかなり片付くはずです。

                        ユンボと切り出した材木。

彼は、山にある杉や檜やサワラという檜に似た木を、数本ずつ鉄のワイヤーで束ねて、ズルズルとユンボで後すざりしながら広い所に持ってきます。それをまず使える部分を、およそ4mの長さに切り、細いところは適当に切って、それをそれぞれの場所に寄せるという作業を一日中くりかえしやっていました。


    あとすざりしながら引っ張りだしています。右の立木は、そのうちに私ひとりで切り出す予定です。

私は助手をつとめました。枝を切り取ったり、適当な長さに幹を切ったりしました。合間に、キノコを栽培する為の原木を、ナラやクヌギやサクラから切り取り、運びました。

夕方にさしかかるころ、私のチェーンソーのチェーンを支えるバーの先端が左右に裂けてしまいました。長年使ったので、消耗してしまったようです。頼んだ人も、同じところが裂けたことがあったとか。

           片づけきれなかったものが、まだこんなに残っています。どうしましょう。

夕方はライトを付けながらやりましたが、雨も降ってきたことだし、それでおしまいにしました。彼は今後は仕事がつまっているので、これ以上は頼めません。残りは、私がじっくりと時間をかけてやることにします。まだまだ山のように残っていますから、決して急がずあわてずにやりましょう。まずは、原木の確保で、次に軽トラで運ぶ通路の確保という順序です。

ユンボで寄せ集めた枝やら使い物にならない幹などのごった返し。高さが軽く2mは越えています。これもやがて片づけなければ、、、、。どうしましょう。

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今日はホームセンターが開くのを待って、さっそくチェーンソーのバーを買いに行きました.。しかし、あいにく取り寄せということ。届くまでに一週間かかるそうです。こりゃだめだ。一週間は長いなー。と思っていたら、店の人は気の毒に思ってか、とりあえず壊れてしまって使っていないチェーンソーからはずしてきて、品物が届くまでこれを使っていてくれと言います。ありがたい。よかったーーー!。とても嬉しかったですね。

《補》

   サワラ(椹)という木は、ヒノキとほとんど姿が同じです。葉っぱもほとんど同じです。ですので、よほどの人でないと立木のままでは区別がつきません。幹に傷をつけると、サワラは臭わないのですが、ヒノキはとても良い香りがします。またサワラは材質が柔らかですが、ヒノキは固いです。私の地域ではヒノキは 石ぴ(石のように固いヒノキ)、サワラは ぬか(糠)ぴ と言います。サワラは桶とか、障子や襖などに使われるとか。


切っても成長

2006年02月08日 | Weblog

畑にあった、出来損ないの白菜を何株か取ってきました。鶏のおやつにやろうと言うわけです。半分に切って、それぞれ白の烏骨鶏の小屋と黒の方に投げてやります。

いくつも半分に切っておいたら、時間の経過とともに中央部が出っ張ってきました。切られても成長している白菜の生命力はすごいです。そういえば、半分にして売っているスーパーの白菜も、中央部がやや出っ張っていますね。

この出来損ないを大切に、少しずつ与えてやろうと思っていたら、隣の農家でも畑を整理するのに大量に白菜の残りを処分したらしく、鳥の餌にどうぞと、ごっそりくれました。それで、今度は半分に切らずに、どさっと一個まるのまま投げ入れてやっています。彼らは一日かけて全部まるごと平らげています。今時、アブラナくらいしか緑のものがないので、さぞや美味しいでしょう。

しもつかれ

2006年02月07日 | Weblog

家内が職場の友達から「しもつかれ」という食べ物をもらってきました。実は、もう何度ももらって食べてはいました。この「しもつかれ」というどういう意味があるのか分からない食べ物は、由来はいろいろあって、どれが本当かわからないようです。

鬼おろしでおろした大根に、大豆や鮭(の頭)や、油揚げなどなどを入れた食べ物ですが、これがさっぱりしていておいしいのです。

友達からもらって、初めてそういう食べ物があることが分かりました。栃木県を中心にして、その周辺の地域で食べられているそうです。私は栃木県の隣の県に住んでいますが初めてです。

これは、大根おろしを使いますので、もちろん冷たい状態で食べます。脂っこいものを食べたときなど、一緒に食べると特に合います。もちろん、そうでないときでも私はおいしく感じます。

もし、関心のある方は http://www.bekkoame.ne.jp/i/ga2273/index.htm にかなり詳しくでていますので、アクセスしてみてください。



厳しい寒さ

2006年02月06日 | Weblog


再び厳しい寒さです。今日は朝から曇天です。今の時間になってはもう大丈夫のようですが、早朝はトイレの蛇口が凍り、しばらくしてから行くとまた凍り始めるような状態です。

霜柱もまた一面に広がっています。さて、これから外で仕事をしようかと思っていますが、たぶん今日は耳がかなり冷たくなるのではないかと思っています。もう、すでに部屋の中で暖まると耳たぶがむずがゆくなってきますので、軽いしもやけにかかっているようです。それに、天気予報によると、くずれるという話なので、仕事を始めても降り出すかも知れないので、どうしようか思案中です。


    目で見ては凹凸が分かるのですが、写真だとうまくそれが表現できるように撮れないものです。

それは良いのですが、そのあたりを一巡りしてみると、霜柱の中でももみ殻がこぼれているところは、持ち上げられないでへこんでいます。暖かいんでしょうね。かなりの保温効果があることが分かります。こういう場面を見ると、このもみ殻はいろいろ保温剤として使えそうな気がしてきます。



偶然、足跡のようにもみ殻がこぼれていますが、そこだけへこんでいます。

このあたりは冬は寒くなりますので、柑橘類はだめです。やっとユズが出来るくらいです。しかし、わが家は、いわゆる寒気の通り道にあたっているのか、何度ユズの苗を買ってきて植えても、寒さの為に枯れてしまいます。それでも根気よく買ってきては植えているのですが、今年もだめでした。人から教わって藁を巻いたりしてもだめです。

               常緑樹であるユズが、こうなってはもう再生しないですね。

それでも、また植えることにします。いろいろと保温には工夫が必要なようです。試行錯誤を重ねながら何とか一本は根付かせたいものです。


遊行柳(ゆぎょうやなぎ)

2006年02月05日 | Weblog


昔から、やまとうたと言われる、いわゆる和歌に詠まれてきた名所は歌枕(うたまくら)と言われます。桜で有名な吉野はその歌枕の名所ではトップクラスになるでしょう。そのほか、いろいろな所が歌に詠まれて来ましたが、作者はその地を必ずしもは訪れずに詠んだことも多いと聞きます。しかし、以下に紹介する歌と句については作者自身が歌枕の地を自分で訪れたようです。


栃木県那須町の芦野という所の国道294号線のすぐ近くにの田の中に、遊行柳というちょっとした名所があります。この地はその歌枕で有名です。最初は何で有名になったかは分かりませんが、まずは鎌倉時代に東北地方に往来をしたという西行の歌で有名です。


     道野辺に清水流るる柳かげしばしとてこそ立ち止まりつれ


この歌で、西行がここを通ったとらしいことが想像できますが、おそらくこの歌により、歌枕の地となったのではないかと思います。さて、時代は下って室町の頃、時宗の教えを広めようと遊行の旅を続けていた上人がこの地にさしかかると、老人が現れてこの歌でゆかりのある柳に案内をして、十念という修行の方法をおしえて消えたという。それから柳の精が現れて舞を舞うという、この柳にまつわる話の謡曲が作られ、ますます有名になりました。


余談になりますが、この294号線は奥州街道と重なっていますが、そのまた昔はこの遊行柳のちょっと南の伊王野というところから、旧街道が別にあります。こちらは道路は狭いし、坂道も少し急でちょっと寂しい街道です。おそらく義経はこの旧街道を通ったのではないかと思います。西行は新しい(と言ってもかなり古いですが)街道を通ったと思われますが、可能性は少ないかも知れませんが、ちょっと引き返して伊王のから旧道をとったかも知れません。

芭蕉も奥の細道の旅の途中で、新街道を通ったと思われます。やはりこの遊行柳で足をとめて句を詠んでいます。

            田いちまい植えて立ち去る柳かな

田植えをしたのは誰なのか。早乙女たちか、それとも柳の精なのか。私には分かりません。


      

      西行の歌碑           芭蕉の句碑   
      
                    
遊行柳の謡曲は http://www.syuneikai.net/yugyoyanagi.htm
           http://www.bashouan.com/pbYugyouyanagi.htm

奥州街道については http://homepage3.nifty.com/ousyukaidou/zenzu.htm


節 分

2006年02月04日 | Weblog

昨日は節分でした。今日から、春のはずなのですが、実際は旧暦では1月7日ですから、まだまだ寒いのはあたりまえです。暦は、世界の規格にあわせても、昔からの暦が時々もちだされ、季節の行事として生き残っているはどうしてなのでしょうか。

またもう一つ、節分は年に4回あり、土用も本当は節分とセットで4回あるのですが、節分はどういうわけか春の節分が生き残り、土用は夏の土用が生き残ったことは面白い現象です。

暑中お見舞いはもちろんありますが、寒中お見舞いというのも、あまりポピュラーではありませんが、いちおうはあります。また、「残暑お見舞いもうしあげます」などと言う葉書をもらうことがありますが、「残寒お見舞い申し上げます」もあるのでしょうか。まだ一度ももらったことがありません。あるかどうかも分からないので、出したこともありません。

さてその節分ですが、昨日は自分で作った大豆を炒って豆まきをしました。家内が「まだかなまだかな?」とフライパンを見つめながら炒ってくれました。家中香ばしい臭いが広がって、香りのセラピーとなりました。

家内は一応は福豆を買ってきましたが、食べてみるととても固いのですが、自分の豆の方がずっと美味しかったのにはびっくりしました。福豆の製法は違いますので、味は違っても当然ですが、とにかく自分の豆の味は良かったですね。甘みが少し感じられ、飲み物ではないのですが、言ってみれば「こく」のようなものが感じられました。

こういうことがあると、自分で作物を作ってよかったという、一つの喜びを強く感じるものです。春のおとずれが楽しみです。

一気に伐採

2006年02月03日 | Weblog


山の木は、私が切ると危ないことになりそうなのが何本かありましたので、専門の人に伐採を頼みました。私は勉強になりますので、助手を務めました。さすが専門家は違います。どの方向に重力が働くかの読みが私とは全く違うことが何度もありました。

仕事が進むように、私はチルホールのてこを動かし、彼がチェーンソーで切るという分業でやりました。伐採の途中で彼のノコギリが油切れの場合には、すぐに私のノコギリを使い、なるべく時間のロスを少なくしてやりました。嬉しかったのは、私のノコギリがすごく切れるとほめられたことです。ちょっと自信が持てましたね。

            これはクヌギ。けっこう太かったので、倒れる時の音はすごかったです。

木を倒し、その上にまた木を倒し、その上にまたまた木を倒し、木が幾重にも重なってしまいました。さて、これをどうしようと思っていたら、檜が何本かあるので、それをもらいにくると言うのです。その際にユンボを持ってきて運び出すので、そのついでにだいたい整理してしまうとのこと。それは大助かり。

                手前にあったので、まずクヌギが倒されました。

それが終わるころに、ホダギ(シイタケの原木)を作ろうとおもっています。桜とナラもありましたので、今回もシイタケだけでなく、ナメコも菌を入れてみようと思っています。

クヌギを倒した上に杉、そしてヒノキとサワラがつぎつぎ倒され、層をつくることになりました。これはまだ途中の段階。この上にまたまた切り倒された木が重なりました。一番下のクヌギは上に乗った木の重さのために、時折ボキボキと枝の折れる音がしていました。

暗くなって、よく見えなくなるくらいまでやっていってくれました。いやーすごい人です。なにせ昼休みもなくやってくれましたから。もちろん、午後のお茶など休もうとしませんでした。

切り残した木はまだ半分残っています。それは私がやることになります。しかし、危ないところは終わったので、あとは大丈夫だと思います。この冬は、これ以上は出来ないと思いますので、どうせ材木にしないのですから、春から夏にかけて切るか、あるいは次の冬になってからでもやりましょう。


2006年02月02日 | Weblog


世の中なかなかうまく行かないものです。昨年の暮れの頃は、決して雨がふらず、カラカラな状態でした。「少しは降ってくれればよいのにな~。」と思っていたのに、空はこちらの気持ちなど知らん顔をして、「おはよー。」と元気にお天道様が顔を出す。こちらも「まあ、天気だからいいか。」なんていう気持ちについなってしまって、昨日も晴れ、今日も晴れ、明日も晴れ、、、の日が続いたのでした。

しかしこのところ、そのお天道様も勢いが衰えてしまったのか、ややご無沙汰気味になってきました。大雪が降ったかと思えば、昨日などは大雨でした。夜から降っていて、昼間もジトジトと一日中、よくもまあこんなに空に水があったものだ、と思うくらい降りました。

そんな日は、ゆっくり本を読み、音楽を聞き、昼寝をしてもまだ時間が余っています。それで、雨の中をちょっと本屋さんに行ってみました。そういう日にも人というのは出かけてくるもんですね。本屋さんは、普段と同じくらい人が出入りしていました。元気なものだ。

いろいろなコーナーを見て回りました。コミックなどのところは除いて、隅から隅まで見て回ったというほど見ました。欲しい本が十数冊ほどあったのですが、今持っている本でさえまだ読んでないのがたくさんあるのに、と思ってグッとこらえて買わずに帰ってきました。

帰りに国道6号線の交差点で赤信号で止まったら、学校が終わった時間になって、学生や小学生たちが雨にもめげず、小さな体で傘をさして渉っていたものですから、ちょっと撮ってみようかなとばかりパシャっやってみました。ワイパーが写っているもの、写っていないものと3枚ほど撮ってみましたが、雨の日ですから、あえてワイパーの写っているものを選んでみました。

ここは7車線もあって、渉るのが大変です。それで信号待ちが長かったので、こういうことが出来たんです。それにしても暗い画面ですね。本当に明るくなかったんです。

ふたたび山仕事

2006年02月01日 | Weblog


1 「山」の定義

 以前も書いたことがあると思いますが、私の住むところは平らです。町へ行ってビルの窓から外を眺めると、南から東にかけては地平線とも言えるような、ずっと先まで平らで、林などが空との境の線になっています。西は、ずっと向こうに筑波山とその山系があり、北も低い山の峰が見えます。

 そういう所なので、この辺の人が言う「山」とは、あの隆起している「山」とは限りません。木のたくさん生えているところ、つまり森とか林も「山」と言います。ですので、その木のたくさん生えている所に入って木の管理をすることを「山仕事」と言います。

 誤解を招くといけないので、ひと言。平らと言っても田んぼや川などのある低い所と台地との高低差くらいはあるということを付け加えておきます。

                     ♪  ♪  ♪

2 「山」仕事

 さて、昨日はその山仕事をしました。まだ雪があちこちに残っているのですが、昨日は景色がボーっとしていてあまり寒くない日でした。しかし、午前中は北東の風がやや強くて、空は今にも降り出しそうでした。

     茶色い灌木のように見えますが、切った枝が散乱している状態です。

 木を倒した後の枝や幹の片づけはまだまだ終わっていません。それどころか、これからもまだ切り倒す予定でいます。一本の木を倒すとその後始末にはとても手間がかかります。むしろ、倒すより片づけの方がたいへんです。

 午前中にしたのは、大枝をチェーンソーで切って運びやすい小枝にし、それを山の外に運び出し、軽トラで火を燃やす所まで運ぶという仕事です。

 山の中を運ぶ時に低い灌木に足をとられたり、荷台に積むときに細い小枝にピシッと頬をたたかれたり(目でなくてよかった)、せっかく積んだのに枝がバネになって荷物がひとかたまり外に撥ね落ちてしまったりと、どうも気分的にも疲れるなーという作業です。

    軽トラの荷台がなんとなく沈んで見えますが、まだまだ山のように積みます。

 それでも、黙々とやりました。そして、いい加減運んだらたき火を始めました。そうしないと、どんどん運んだものが多くなるし、すぐに全部は燃えないので時間のロスも多くなります。

 なんとか一区切りをつけたのが午後の1時ころでした。それから遅い昼食をとり休んでいると、雨になってしまいました。たき火は火力がありますから、そのままにしておいても土砂降りにならない限りは燃え続けます。あとはもう放ったらかしでも、こういう日には危ないことはありません。なにせ雨ですから。

                               (;~~;)     (;**;)     (;~~;) 

3 午後

 午後は読書でーす。しかし、つい眠くなってしまって、、、、。毛布を出して猫とゴロリと横になり本を読みながら夢の世界へと旅に出かけてしまいました。

 そして、けたたましい電話の呼び出しで再び現実の世界へ。「○○ベンチャーと言いますが、投資のお話を、、、、、」 ・ ・ ・ ・ 「そんな話はお断りでーす。」 あーー、恨めしい電話めーっ。