恒例の夏コミ進捗状況~。
先週土曜日、400字詰め原稿用紙換算45枚に到達した原稿ですが、日曜日はCG三昧、月曜日はお仕事三昧でほとんど進めることができずにいました。が、今日は急に小説の神様が降りたのか、キーボードを叩く指も軽くてぐんぐん進みました。現在執筆量は原稿用紙約65枚。今日だけで一気に20枚、約八千字を加えたことになります。物語も、序盤を終えて、中盤に掛かるという辺り。この調子でがしがし書いていけば、今週中には100枚突破、来週一杯くらいで大体目処が付けられたらうれしいなぁ、という按配になります。ちなみに、自分としては驚異的なスピードで書き上げた昨年夏は、五〇枚突破が6月5日、一〇〇枚が6月12日でしたから、昨年よりさらに一週間以上早めに原稿が進んでおります。昨年の脱稿は6月26日、原稿枚数は297枚に達しましたけど、今年は少し分量は控えめにして、その分早く仕上げたいというつもりでいますので、本気で6月半ば脱稿を目標に据えてみたい気分です。はたしてどうなりますでしょうか?
乗客が喫煙中に窓を開けたところ、その乗客が苦情を申し立ててきた、ということで処分された個人タクシー運転手さんが、乗務中の「煙害」で心臓病を患ったとして、処分した財団法人東京タクシーセンターを相手に約1000万円の損害賠償を求める訴訟を起こしたそうです。何でもタクシー運転手というのは、お客さんに禁煙をお願いすることもできないし、どんな事情であれお客の気分を害したら、「接客態度違反処分」とされるんだとか。そのために受動喫煙を余儀なくされた運転手さんは、94年に心臓病と診断されたとのこと。受動喫煙と心臓病の因果関係が争われることになるのかな? と素人ながら考えたりいたしますが、それ以前に、タクシー運転手の側から禁煙をお願いしたり、窓を開けて煙を外に逃がしたりすることが許されないなんて、ちょっと酷いのではないか、と私は思います。
私はタバコは吸いませんが、子供の頃父がわりとヘビースモーカーだったこともあって、私自身はそれほどタバコに嫌悪感はありません。煙の害も知っていますけど、現在の日本という国に住んでいるからには、紫外線、排気ガス、食品由来の発ガン物質など、タバコ以外にいくらでも危険因子があるわけで(農薬、といわないところが私らしいところかも(笑))、一人タバコだけ健康の目の敵にする風潮には少々疑問を感じます。ようはマナーの問題で、禁煙が推奨されている場所では吸わない、吸わないヒトが身近にいるときは遠慮するかせめて一声かける、といったことが大事なのではないかと思うのです。私の友人や仕事仲間でも結構タバコを吸う方はいらっしゃいますが、少なくともそういった最低限のマナーは心得ている方ばかりなので、私も杓子定規に禁煙の御旗を振りかざす気になれないのです。でも、今回の場合、タクシー車内という密室で、何時間も過ごすわけでもなし、客の方だって我慢するなり、窓を開けて吸うなりの配慮があってしかるべきなのではないでしょうか。いくらタクシー不況で客離れが起きているからといって、こんな時代錯誤な神様扱いをしていては、お客側が増長するだけでしょう。 そもそもお客と売り手は対等なはずで、売り手が様々なサービスを提供してくれるからこそ、お客もそのサービスを享受し、色々と愉快便利に過ごせるはずです。もし売り手がサービスの提供を止めてしまえば、それだけで大変な不便が強いられ、場合によっては命に関わるようなことだって、出てくることでしょう。お客の側は、そのことをあまりに軽視しすぎているんじゃないでしょうか? デフレでものが売れなくなっているうちにそういう風潮が助長されたのか、あるいは昨今の自己中人間の増殖が問題なのか、色々解決すべきところはあるでしょうが、まずサービスを提供してくれる相手への感謝と敬意を忘れないようにすれば、自ずとマナーなどはついてくるものだと思います。日本人は昔から自然の恵みという考え方をもって、色んな神様をそれこそ米一粒一粒にまで作って、あらゆるモノに対する感謝と敬意を忘れずに来た民族だったはずです。今や忘れられつつあるのかもしれませんけど、今こそ教育でまずは子供達に、更に何とか大人達に、そういったものの見方をたたき込む必要があるやに感じます。まずはこの裁判、どっちに転ぶか判りませんけど、杓子定規な法律解釈ではなく、「大岡裁き」に匹敵するような名判決を期待したいモノです。
先週土曜日、400字詰め原稿用紙換算45枚に到達した原稿ですが、日曜日はCG三昧、月曜日はお仕事三昧でほとんど進めることができずにいました。が、今日は急に小説の神様が降りたのか、キーボードを叩く指も軽くてぐんぐん進みました。現在執筆量は原稿用紙約65枚。今日だけで一気に20枚、約八千字を加えたことになります。物語も、序盤を終えて、中盤に掛かるという辺り。この調子でがしがし書いていけば、今週中には100枚突破、来週一杯くらいで大体目処が付けられたらうれしいなぁ、という按配になります。ちなみに、自分としては驚異的なスピードで書き上げた昨年夏は、五〇枚突破が6月5日、一〇〇枚が6月12日でしたから、昨年よりさらに一週間以上早めに原稿が進んでおります。昨年の脱稿は6月26日、原稿枚数は297枚に達しましたけど、今年は少し分量は控えめにして、その分早く仕上げたいというつもりでいますので、本気で6月半ば脱稿を目標に据えてみたい気分です。はたしてどうなりますでしょうか?
乗客が喫煙中に窓を開けたところ、その乗客が苦情を申し立ててきた、ということで処分された個人タクシー運転手さんが、乗務中の「煙害」で心臓病を患ったとして、処分した財団法人東京タクシーセンターを相手に約1000万円の損害賠償を求める訴訟を起こしたそうです。何でもタクシー運転手というのは、お客さんに禁煙をお願いすることもできないし、どんな事情であれお客の気分を害したら、「接客態度違反処分」とされるんだとか。そのために受動喫煙を余儀なくされた運転手さんは、94年に心臓病と診断されたとのこと。受動喫煙と心臓病の因果関係が争われることになるのかな? と素人ながら考えたりいたしますが、それ以前に、タクシー運転手の側から禁煙をお願いしたり、窓を開けて煙を外に逃がしたりすることが許されないなんて、ちょっと酷いのではないか、と私は思います。
私はタバコは吸いませんが、子供の頃父がわりとヘビースモーカーだったこともあって、私自身はそれほどタバコに嫌悪感はありません。煙の害も知っていますけど、現在の日本という国に住んでいるからには、紫外線、排気ガス、食品由来の発ガン物質など、タバコ以外にいくらでも危険因子があるわけで(農薬、といわないところが私らしいところかも(笑))、一人タバコだけ健康の目の敵にする風潮には少々疑問を感じます。ようはマナーの問題で、禁煙が推奨されている場所では吸わない、吸わないヒトが身近にいるときは遠慮するかせめて一声かける、といったことが大事なのではないかと思うのです。私の友人や仕事仲間でも結構タバコを吸う方はいらっしゃいますが、少なくともそういった最低限のマナーは心得ている方ばかりなので、私も杓子定規に禁煙の御旗を振りかざす気になれないのです。でも、今回の場合、タクシー車内という密室で、何時間も過ごすわけでもなし、客の方だって我慢するなり、窓を開けて吸うなりの配慮があってしかるべきなのではないでしょうか。いくらタクシー不況で客離れが起きているからといって、こんな時代錯誤な神様扱いをしていては、お客側が増長するだけでしょう。 そもそもお客と売り手は対等なはずで、売り手が様々なサービスを提供してくれるからこそ、お客もそのサービスを享受し、色々と愉快便利に過ごせるはずです。もし売り手がサービスの提供を止めてしまえば、それだけで大変な不便が強いられ、場合によっては命に関わるようなことだって、出てくることでしょう。お客の側は、そのことをあまりに軽視しすぎているんじゃないでしょうか? デフレでものが売れなくなっているうちにそういう風潮が助長されたのか、あるいは昨今の自己中人間の増殖が問題なのか、色々解決すべきところはあるでしょうが、まずサービスを提供してくれる相手への感謝と敬意を忘れないようにすれば、自ずとマナーなどはついてくるものだと思います。日本人は昔から自然の恵みという考え方をもって、色んな神様をそれこそ米一粒一粒にまで作って、あらゆるモノに対する感謝と敬意を忘れずに来た民族だったはずです。今や忘れられつつあるのかもしれませんけど、今こそ教育でまずは子供達に、更に何とか大人達に、そういったものの見方をたたき込む必要があるやに感じます。まずはこの裁判、どっちに転ぶか判りませんけど、杓子定規な法律解釈ではなく、「大岡裁き」に匹敵するような名判決を期待したいモノです。