今日は朝から和歌山県岩出市にある緑化センターまで出かけました。新しいサボテンも買ってきてほくほくしながら帰ってきましたが、その詳細はまた買ってきたサボテンを撮影してからアップするとして、今日は以前アップしそこねた平城遷都1300年祭の様子をアップしておこうと思います。
パークアンドライドを利用して、バスで会場入りしたのですが、その駐車場の程近くに、まず話題の一つ、遣唐使船が見えておりました。
近くに寄ってみると、なるほど、それなりの迫力があります。ただ、これに150人も人が乗って外海の荒波に乗り出して行った、と考えると、随分小さな船体です。
遣唐使船を離れて、すぐ近くにある次の見所、朱雀門に移動します。これをくぐった向こう側に、1300年祭最大の呼び物である大極殿があります。修学旅行生や遠足の小学生が次々にやってきては、門をくぐって行きました。
朱雀門から大極殿が見えます。はるか遠くに・・・。大極殿に至るには、手前にある近鉄の線路を超えていかないとなりません。
近鉄の線路を超えたところから朱雀門を振り返りました。右の、1300年祭のために新設された踏切を渡ることになっています。当初、ここに臨時駅を作る構想もあったそうですが、お金がかかりすぎるとのことで、踏切になった、のだそうです。右端、ほんのちょっとだけ電車が見えますが、割と頻繁に通ってきます。
同じところから大極殿を見ると・・・、まだまだ遥か向こうです。ご覧の通り、周りは全くの草の原で、本当に広々としています。
ようやく大極殿到着です。ここまで日よけとか雨宿りの施設は今のところ全くありません。私が出かけた日は爽やかな陽気で日差しはありましたが暑さは感じませんでした。でも、梅雨時や真夏は大変でしょうね。その季節には、何か新たにテントくらい立てられるのでしょうか?
大極殿は、裏から回り込んで中に入ります。
中は外からの様子からしたらちょっと手狭に感じるかもしれません。中央に天皇陛下が座した高御座の復元模型が展示してありました。
正面から高御座を見ると、ちゃんと座ることが出来るように細工が施されています。これは、資料がないために奈良時代の物そのままではなく、大正天皇の利用されたものをベースに色々古い資料にあたって再現されたものなのだそうです。
大極殿に展示してあった金のしゃちほこ。大極殿の屋根の両端につけられたもののレプリカだそうです。大極殿も図面の類は一切残っていないので、同時代の建築物である法隆寺などの様式を基に、再現されたとのことです。
大極殿には、全体にこんな金の飾りが無数につけられていました。夜はライトアップされるそうなので、その灯りに照らされると全体がキラキラ輝いて見えるのかもしれません。
平城宮跡がほとんど野原同然なのは、まだ発掘がほとんどされていないためです。確か全体の5%程度しか掘っていないと聞いたことがあります。大極殿の下も未発掘地で、特殊な鋼板を敷き、その上に柱を立てて地下の遺物に影響を与えないようにして建てられているのだそうです。
発掘は少しずつ進められており、このように別の区画ではその作業がたゆみなく続けられていました。
とりあえず今日はここまで。大極殿以外の平城宮跡の見所は、明日以降にアップいたしましょう。
パークアンドライドを利用して、バスで会場入りしたのですが、その駐車場の程近くに、まず話題の一つ、遣唐使船が見えておりました。
近くに寄ってみると、なるほど、それなりの迫力があります。ただ、これに150人も人が乗って外海の荒波に乗り出して行った、と考えると、随分小さな船体です。
遣唐使船を離れて、すぐ近くにある次の見所、朱雀門に移動します。これをくぐった向こう側に、1300年祭最大の呼び物である大極殿があります。修学旅行生や遠足の小学生が次々にやってきては、門をくぐって行きました。
朱雀門から大極殿が見えます。はるか遠くに・・・。大極殿に至るには、手前にある近鉄の線路を超えていかないとなりません。
近鉄の線路を超えたところから朱雀門を振り返りました。右の、1300年祭のために新設された踏切を渡ることになっています。当初、ここに臨時駅を作る構想もあったそうですが、お金がかかりすぎるとのことで、踏切になった、のだそうです。右端、ほんのちょっとだけ電車が見えますが、割と頻繁に通ってきます。
同じところから大極殿を見ると・・・、まだまだ遥か向こうです。ご覧の通り、周りは全くの草の原で、本当に広々としています。
ようやく大極殿到着です。ここまで日よけとか雨宿りの施設は今のところ全くありません。私が出かけた日は爽やかな陽気で日差しはありましたが暑さは感じませんでした。でも、梅雨時や真夏は大変でしょうね。その季節には、何か新たにテントくらい立てられるのでしょうか?
大極殿は、裏から回り込んで中に入ります。
中は外からの様子からしたらちょっと手狭に感じるかもしれません。中央に天皇陛下が座した高御座の復元模型が展示してありました。
正面から高御座を見ると、ちゃんと座ることが出来るように細工が施されています。これは、資料がないために奈良時代の物そのままではなく、大正天皇の利用されたものをベースに色々古い資料にあたって再現されたものなのだそうです。
大極殿に展示してあった金のしゃちほこ。大極殿の屋根の両端につけられたもののレプリカだそうです。大極殿も図面の類は一切残っていないので、同時代の建築物である法隆寺などの様式を基に、再現されたとのことです。
大極殿には、全体にこんな金の飾りが無数につけられていました。夜はライトアップされるそうなので、その灯りに照らされると全体がキラキラ輝いて見えるのかもしれません。
平城宮跡がほとんど野原同然なのは、まだ発掘がほとんどされていないためです。確か全体の5%程度しか掘っていないと聞いたことがあります。大極殿の下も未発掘地で、特殊な鋼板を敷き、その上に柱を立てて地下の遺物に影響を与えないようにして建てられているのだそうです。
発掘は少しずつ進められており、このように別の区画ではその作業がたゆみなく続けられていました。
とりあえず今日はここまで。大極殿以外の平城宮跡の見所は、明日以降にアップいたしましょう。