かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

父が目の手術をするせいか、私もちょっと目が気になりだしています。

2010-05-10 22:39:20 | Weblog
 今日は良い雨になった気がしました。激しく降るでも無く、風があるわけでもなく、静かにしっとりと世界を湿らせていくような、心地よさを覚えました。明日もまだ天気は悪いそうですが、このような『悪天候』なら、多少悪くても気持ちまで暗く落ち込んだりするようなこともなさそうです。

 さて、明日、父が目の手術をします。いわゆる老眼の進行で片目が霞んできたために行うのだそうで、命に別状のあるわけではなし、手術そのものには差したる心配はしておりません。ただ、事を自分に置き換えた時、それは、なかなかに脅威的な物になりそうな気もしています。
 私は中学生の頃からメガネが必要な近視なのですが、最近、単に近視であるだけでなく、メガネをかけていると近くが見えにくくなってきていて、いわゆる老眼が進んでいることをいやでも自覚させられております。読書やパソコンを使うときでも、以前はメガネを掛けてしていたのに、今はそれでは到底ダメで、メガネを外し、裸眼で行うようにしています。と言って遠くの方にピントが合うわけではないので、眼鏡がないと外を出歩くこともままなりません(と言いつつ、たまにかけ忘れて出かけることもありますが)。
 まあそれはともかく、父は若い頃はそんなに目が悪いわけではありません。それに対して、子供の時分より目が悪い私は、父の年になる頃には、より一段と悪化した目の状態になっているんじゃないか、と危惧するわけです。特に、父の若い頃には無かったPCが今は仕事でも日常生活でも一番身近に利用する機械として存在していて、日々目を酷使しているわけですから、父よりも速く目が悪くなっても不思議ではないとも思います。
 目が見えなくなる、というのは、結構強い恐怖です。あと30年もしたら、肉眼と遜色ないデバイスが開発されて、目がなくても見ることができるようになるかもしれませんが、今はまだその手の技術の解像度はPCを操作したり本を読んだり出来るレベルではありませんし、30年位でそんなデバイスが開発され、庶民に購入出来るところまで普及するかどうかも判りませんし、第一、私の目があと30年持つかどうかも判りません。普段はあまりそういうことは考えないのですが、父が目にメスを入れる、と聞いてから、割と頻繁に考えるようになってきています。
 まあ目の健康診断は1,2年に一度は受けるようにしていますし、今のところ、それで重大な疾患やその予兆を指摘されたりしたことはありません。恐らく当面はまだこのままイケそうですし、今から老後の目のことを心配するのは杞憂と言うものなのかもしれません。それでも、私としては、一刻も早く視神経系とCCDを直結するデバイスとか、大脳の視覚野へ、ダイレクトに、もしくは間接的にでも映像を送り出せる装置とかが開発されて欲しいと願ってやみません。それらが夢物語では無くなりつつあることを知るだけに、よりその開発を加速させ、機能も経済性も実用レベルにまで進化することを、ひたすら祈り続けているのです。

コメント
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