二人は焦っていた。
荒神谷皐月の生み出した結界に、自分の力がまるで通用しない事実に。
そして、松尾亨のフロッピーディスク、という石を投じてできた波紋の小ささに、少なからず焦っていた。
二人の計算では、あれで「南麻布学園」の結界に少なからぬゆらぎを与え、その結界にほころびを生じさせることが出来たハズなのだ。そのほころびに自分達の持つ夢の力を作用させてやれば、ほころびは更に拡大し、やがて、結界の崩壊まで導くことができる算段だった。しかし、現実にはこうやって、教師としての日々の生活の中のごく一部分、この、夜見ている夢の世界に意識を顕現させるのが精一杯なのである。この程度のほころびでは、自分達の力で結界を突破することは出来そうにない。よりひずみを拡大させ、世界を不安定にする事はできるかもしれないが、きっとその時点で全てのエネルギーを消耗し、力尽きてしまうことだろう。
そうなれば全ては終わりである。
完全にこの偽りの世界に意識が同調し、真の姿である夢の世界の方が消滅することになるだろう。世界には、夢魔の総帥もドリームガーディアンもいなくなり、平和で安寧な日々が訪れる……。何の疑いも無く、死夢羅の『指導』に辟易しながら、子供達と過ごす毎日。それでもいいかも? と思う自分が少しだけ存在することを、麗夢は自覚していた。ひょっとして、死夢羅もまた、諦観とともに、悪くない、と思う自分が心の隅に生じつつあるのかもしれない。そして、その敗北主義に誰よりも苛立ち、焦りを覚えているのもまた、本人達なのだ。アルファ、ベータには、こうして互いに痛いところをつかれた形になった二人を、止めようが無かった。もはや行くところまで行って暴れる以外に、頭を冷やす方法はなかったのだろう。
「覚悟せい!麗夢!」
「行くわよ! ルシフェル!」
今まさに、命を刈り取る死神の大鎌と悪を断罪する夢の戦士の大剣が火花を散らそうとした、その時。
「こーんなところで密会してたんだぁ」
「……いやらしい……」
「え? え? なんで喧嘩してるの?」
「全然周り見えてないね」
今にも触れあわんとしていた冷たい刃と熱い切っ先が、目に見えない壁に斬りつけたかのように空中に静止した。強靭な膂力でそれぞれの獲物を振るっていた二人の目が、これ以上ないほどに見開かれ、突然の闖入者達の姿を凝視する。
なぜ?
どうやって?
どこから?
疑問符ばかりが頭上を飛び交い、目の前の事象に投げかけられる。それは、ここに二人を呼び寄せるのに尽力した二匹もまた同じであった。
だが、それぞれ四対7つの肉眼と一つの魔眼が捉えた事実に、脳の情報処理が追っついてこない。撃ち合う寸前まで体重を載せ、また静止せんと飛び込もうとした姿勢のままで、2組の世界が瞬間凍結されたようにただ呆然と固まっていた。
「どうしたの?」
一歩前に立つ少女、荒神谷皐月が、常と変わらぬ朗らかな顔で頭を振る。
「そんなに意外だったか? 我々が現れたのが」
皐月から一歩控えて左斜め後ろに立つ斑鳩星夜が、小学生の身体には大きすぎる白衣の裾をひらひらとさせながら腕を組んだ。
「僕たちを甘くみてたんですね」
右の端で、いかにも少女然と、ヒラヒラにドレスアップされた眞脇紫がニッコリ笑う。
「…………」
皐月の傍らでじっと見つめる纏向琴音の視線が、無機質な中にそこはかとない軽侮と嫌悪で薄く彩られた。
「う~~っ」
「シャーッ!」
ようやく驚愕から覚めたアルファ、ベータが、小さな身体の向きを変え、全身の毛を逆立てて、威嚇の唸り声を上げた。一瞬遅れて、ルシフェルがうめいた。
「き、貴様ら……。一体どうやってここへ?」
麗夢も、わななきつつもルシフェルに続く。
「……夢の中に入ってくるなんて……」
対する皐月は、相変わらずの軽い調子で、未だ驚愕覚めやらぬ二人に告げた。
「いやいやいや、おかしぃでしょその疑問は。私たちだって、原日本人の血を継ぐ四人の巫女なんだよ?」
「で、でも、夢守の民と原日本人は別だったはず……」
「それはどうかな? きっちりゲノム解析したわけじゃないが、多分それなりに混血しているんじゃないかと思うのだが」
麗夢の疑問に斑鳩星夜が答え、うんうん、と紫が何度も頷く。
「まあ、とにかく、夢の中くらい私達にだって行き来できるんだって! 方法や理屈はともかく、事実がそうなんだからそれでいいじゃない。ね?」
皐月は、三人の仲間に振り返って朗らかにそう宣言した。纏向琴音が一瞬だけ何か言いたそうに瞳の色を薄くひらめかせたが、すぐにほとんど誰にも感知されないレベルで、小さくフゥ、と溜息をついた。それを待っていたかのように、こちらは少しほっとした調子で紫が言った。
「そうそう。そんなことより、僕たちに隠れてこそこそやってる方が問題だって」
「そうだな。さすがは現今最強の夢守の民、と言いたいところだが、秘密の逢引など、あまり褒められたことではない」
ねー、と声を合して顔を見交わした紫と星夜に、麗夢の額へ青筋が走った。
「あ、あなた達にとやかく言われる筋合いはないわ!」
荒神谷皐月の生み出した結界に、自分の力がまるで通用しない事実に。
そして、松尾亨のフロッピーディスク、という石を投じてできた波紋の小ささに、少なからず焦っていた。
二人の計算では、あれで「南麻布学園」の結界に少なからぬゆらぎを与え、その結界にほころびを生じさせることが出来たハズなのだ。そのほころびに自分達の持つ夢の力を作用させてやれば、ほころびは更に拡大し、やがて、結界の崩壊まで導くことができる算段だった。しかし、現実にはこうやって、教師としての日々の生活の中のごく一部分、この、夜見ている夢の世界に意識を顕現させるのが精一杯なのである。この程度のほころびでは、自分達の力で結界を突破することは出来そうにない。よりひずみを拡大させ、世界を不安定にする事はできるかもしれないが、きっとその時点で全てのエネルギーを消耗し、力尽きてしまうことだろう。
そうなれば全ては終わりである。
完全にこの偽りの世界に意識が同調し、真の姿である夢の世界の方が消滅することになるだろう。世界には、夢魔の総帥もドリームガーディアンもいなくなり、平和で安寧な日々が訪れる……。何の疑いも無く、死夢羅の『指導』に辟易しながら、子供達と過ごす毎日。それでもいいかも? と思う自分が少しだけ存在することを、麗夢は自覚していた。ひょっとして、死夢羅もまた、諦観とともに、悪くない、と思う自分が心の隅に生じつつあるのかもしれない。そして、その敗北主義に誰よりも苛立ち、焦りを覚えているのもまた、本人達なのだ。アルファ、ベータには、こうして互いに痛いところをつかれた形になった二人を、止めようが無かった。もはや行くところまで行って暴れる以外に、頭を冷やす方法はなかったのだろう。
「覚悟せい!麗夢!」
「行くわよ! ルシフェル!」
今まさに、命を刈り取る死神の大鎌と悪を断罪する夢の戦士の大剣が火花を散らそうとした、その時。
「こーんなところで密会してたんだぁ」
「……いやらしい……」
「え? え? なんで喧嘩してるの?」
「全然周り見えてないね」
今にも触れあわんとしていた冷たい刃と熱い切っ先が、目に見えない壁に斬りつけたかのように空中に静止した。強靭な膂力でそれぞれの獲物を振るっていた二人の目が、これ以上ないほどに見開かれ、突然の闖入者達の姿を凝視する。
なぜ?
どうやって?
どこから?
疑問符ばかりが頭上を飛び交い、目の前の事象に投げかけられる。それは、ここに二人を呼び寄せるのに尽力した二匹もまた同じであった。
だが、それぞれ四対7つの肉眼と一つの魔眼が捉えた事実に、脳の情報処理が追っついてこない。撃ち合う寸前まで体重を載せ、また静止せんと飛び込もうとした姿勢のままで、2組の世界が瞬間凍結されたようにただ呆然と固まっていた。
「どうしたの?」
一歩前に立つ少女、荒神谷皐月が、常と変わらぬ朗らかな顔で頭を振る。
「そんなに意外だったか? 我々が現れたのが」
皐月から一歩控えて左斜め後ろに立つ斑鳩星夜が、小学生の身体には大きすぎる白衣の裾をひらひらとさせながら腕を組んだ。
「僕たちを甘くみてたんですね」
右の端で、いかにも少女然と、ヒラヒラにドレスアップされた眞脇紫がニッコリ笑う。
「…………」
皐月の傍らでじっと見つめる纏向琴音の視線が、無機質な中にそこはかとない軽侮と嫌悪で薄く彩られた。
「う~~っ」
「シャーッ!」
ようやく驚愕から覚めたアルファ、ベータが、小さな身体の向きを変え、全身の毛を逆立てて、威嚇の唸り声を上げた。一瞬遅れて、ルシフェルがうめいた。
「き、貴様ら……。一体どうやってここへ?」
麗夢も、わななきつつもルシフェルに続く。
「……夢の中に入ってくるなんて……」
対する皐月は、相変わらずの軽い調子で、未だ驚愕覚めやらぬ二人に告げた。
「いやいやいや、おかしぃでしょその疑問は。私たちだって、原日本人の血を継ぐ四人の巫女なんだよ?」
「で、でも、夢守の民と原日本人は別だったはず……」
「それはどうかな? きっちりゲノム解析したわけじゃないが、多分それなりに混血しているんじゃないかと思うのだが」
麗夢の疑問に斑鳩星夜が答え、うんうん、と紫が何度も頷く。
「まあ、とにかく、夢の中くらい私達にだって行き来できるんだって! 方法や理屈はともかく、事実がそうなんだからそれでいいじゃない。ね?」
皐月は、三人の仲間に振り返って朗らかにそう宣言した。纏向琴音が一瞬だけ何か言いたそうに瞳の色を薄くひらめかせたが、すぐにほとんど誰にも感知されないレベルで、小さくフゥ、と溜息をついた。それを待っていたかのように、こちらは少しほっとした調子で紫が言った。
「そうそう。そんなことより、僕たちに隠れてこそこそやってる方が問題だって」
「そうだな。さすがは現今最強の夢守の民、と言いたいところだが、秘密の逢引など、あまり褒められたことではない」
ねー、と声を合して顔を見交わした紫と星夜に、麗夢の額へ青筋が走った。
「あ、あなた達にとやかく言われる筋合いはないわ!」