かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

伊勢神宮の初代斎王が坐した斎宮の主要施設が発掘されたとのことです。

2019-01-05 20:50:25 | Weblog
 今日の奈良市の最低気温は6.3℃、最高気温は10.4℃、五條市の最低気温は3.7℃、最高気温は9℃でした。今日はほぼ1日曇りで時折にわか雨が降る生憎の天気でした。夕方には雲が切れ日差しがありましたが、寒々しさに終始した1日でした。明日も曇りであまり良い天気ではなく、あいにくの休日になる模様ですが、きつい冷え込みにならないのはありがたいかも知れません。

 さて、三重県の伊勢神宮には、祭祀を担った「斎王(さいおう)」が居た「斎宮」跡地(国史跡)がありますが、その場所で、飛鳥時代後半に建設されたとみられる中心的な区画と多数の建物跡が発見されました。最初に天皇の称号を使った天武天皇の娘で初代斎王の大来皇女のために造営された施設の可能性が高く、伊勢神宮と皇室との歴史を語る上で貴重な発見と目されています。斎宮の範囲は東西2キロ、南北0.7キロに及び、発掘された現場は史跡の西側に当たる部分で、このたび、北東隅に当たる10mX8mの塀跡を発見、これまでの発掘調査で判明していた堀跡と合わせ、東西40m、南北60m以上の方形の区画となることが明らかになりました。区画内外には多数の建築跡が見つかっており、斎宮の主要施設と目されているそうです。
 天武天皇は、西暦672年の壬申の乱による劇的な権力奪取を皮切りに、天皇の称号や日本の国号などを定め、日本初の巨大都市藤原京の造営に着手し、日本書紀や古事記の編纂を命じるなど、我が国の基本骨格を形作った、古代史の中でも実に豊富な話題を持つ天皇陛下の一人です。伊勢神宮に関しても、20年に一度の式年遷宮の制度を決めたのが天武天皇とされ、斎王の派遣と斎宮の建立も含め、今日に伝わる伊勢神宮を形作った方と言えるでしょう。その方ゆかりの施設が発掘され、考古学的に調査されるというのは、実に興味深いものがあります。今回の史跡も、南側がちょうど近鉄の線路にかかっていることもあって南端がどこにあるのかまだ不明な点が少々残念ではありますが、できるだけ当時の様子が浮かび上がるよう調査が進められれば良いと思います。
 それにしても近鉄は、今回の斎宮跡地や平城京跡南端部など、古代の重要施設を踏み潰している例が多い気がします。奈良県や三重県という、古代史跡の多いところを通る私鉄であり、線路を通した昔はさほどそういうものが大事にされなかった時代なのかも知れませんが、返す返すも残念な感がありますね。

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