かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

もはや自分だけの世界で生きているヒトに、客観的な現実の話を求めても詮無いことだと想います。

2021-04-28 20:16:37 | Weblog
 今朝の奈良市アメダスの最低気温は13.9℃、昼の最高気温は19.3℃、五條市アメダスの最低気温は9.9℃、最高気温は18.3℃でした。今日は朝のうちはまだ持つかと思っていたのに出勤時には既に傘無しでは歩けない雨になっていました。その後は降ったり止んだりで降水量としては微々たるものでしたが、一日中ぐずついた天気が続き、気温もあまり上がらず数字以上に肌寒さを覚える一日でした。この後雨はところによりかなり強く降る可能性もあり、明日日が暮れるまでは降り続けそうな塩梅です。折角の休みですが、国や県が求めるまでもなく家でじっとしているより無いでしょうね。

 さて、ちょうど2年前に池袋で車を暴走させ自転車で横断していた母と幼子をはねて殺害した飯塚被告の裁判が行われていますが、被告は一貫して自分の操作ミスを認めず、機械的な不具合が生じた結果の事故だと主張しています。弁護人もそうせざるを得ないのかほぼありえない想定の万が一の故障説を主張していますが、こういう裁判で弁護人としてあることの難しさを改めて感じておられるんじゃないかと思わずにはおれません。しかし、これはもう裁判する意味がないのではないかと私には思えます。当の御本人がどのような証拠を見せられようとも一貫して故障だと主張なさるのは、もう自分でそう信じ込んでいるのでしょう。どのように状況が矛盾しようが信じていることこそが事実と認識している以上それを改めさせることは無理で、反省もなければ罪を償う気にもならないはずです。そうなるとたとえこのまま公判が進み有罪判決が出たとしてもそれに一体何の意味があるのでしょう。非常な高齢でいつ身罷ってもおかしくない状況の被告のように、もはや失うものはなにもない最強の犯罪者に対していかに司法が無力かというのを証明するだけの茶番に、遺族も関係者も延々つきあわされるというとんでもない罰ゲーム状態になっています。
 裁判というシステムが、それなりに相手が理性があり反省も促しうることを前提としている以上これは致し方のないことですが、今後更に高齢化が進み、この被告のように現実よりも自分の信じている世界に生きているヒトが増えてきたら、ますます裁判は無意味で何ら社会に寄与しないものになってしまいます。司法関係者の方々は、正に司法崩壊と言わざるを得ないような事態が起きうる可能性に危機感を持ち、これからの事を考えて置かれたほうが良いように思います。ちょうどそのきっかけが、この裁判にあるんじゃないでしょうか?

コメント
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