かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

遅まきながら、300投稿達成おめでとうと言うことで。

2006-01-15 18:24:01 | ドリームハンター麗夢
 このブログで、300投稿達成おめでとう! という内容の記事を書こうと思っていたのですが、すっかりそんなことを忘れていて、いつのまにか311通目になっておりました。今更ではありますが、絵でも一つ仕上げて、通算300投稿突破をお祝いするといたしましょう。
 もっとも絵は別に300とは何の関係もない、昨夏の新刊ネタを考えていたときに下描きだけしていたものを、修正して仕上げた小品です。せっかくお絵かき機能がこのブログに付いているので試しに使ってみたというだけのものであります。ちなみにこのお絵かきツール、レイヤーが何階層かつかえて各レイヤーの透明度の設定もできるなど、よく見かけるお絵かき板にはない便利機能もあるんですが、反面どうも全体的に使いづらくて、なかなかこれで絵を仕上げようと言う気にならなかったものです。でも、せっかく線画は描いていたことですし、ちょっとズルして別ソフトで途中の作業を代行し、それをアップして仕上げ作業だけこのツールでやりました。これでようやくやり残していた宿題を片付けられたような気がいたします。

 ついでにテンプレートも冬用に替えてみました。ちょうどカテゴリーをもっと上段に持ってきたかったこともありましたので、ちょうど良かったと言えます。一応テンプレートその物を編集する機能もあるにはあるのですが、どうも敷居が高くて判りにくいため、取りあえず出来合のモノで使えそうなのにしてあります。そのうちもう少し勉強して、より使いやすくカスタマイズしたいですね。
 もう一つついでに無料ホームページ機能を使って備忘録代わりのサイトを作ろうと思ったのですが、私が普段使っているHTMLエディタであるGoLiveではどうもいじれそうもないため、とりあえず表紙だけつくって現在放置してあります。一応簡単ホームページって銘打たれたサービスなのですが、風邪薬で頭がボケているせいなのか、どうもその操作が良く理解できません。こちらももう少し慣れないと、到底使い物にはならないでしょう。
 
 とにもかくにも、まず風邪を治さないと何にも手が付けられない困った状態です。公私ともに考えたいことや考えなきゃいけないことが山積み状態なんですけど、普段なら煮詰まったときの逃避先である活字でさえ、目で追うのが億劫で5分と持たずに放り出してしまう状況では、焦ってみても致し方ありません。あー、なんか後でこの文章読み返すのが恐ろしくなってきました。支離滅裂な事を書き散らかしているんじゃないかと思うと・・・。

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所詮マスコミは自ら描いたシナリオ通りにしか分析できないモノなのか

2006-01-14 22:16:08 | Weblog
 軽い喉の痛み、軽い頭痛、軽い関節痛、軽い目眩、軽いだるさ・・・。全部寝込むほど酷くはない軽い異常なのですが、全身おかしい所ばかりとなると、さすがに蒲団をかぶって寝込みたくなってきます。そんなことをしたら夜寝るときにまた不眠になって困るので寝てしまわないように意識してましたけど、そうやって起きていても活力や生産性はがた落ちですね。とっとと快復したいのですが、こればかりは思うようにいきません。

 さて、17日に迫った宮崎勤裁判の最高裁判決を控えて、新聞が事件を振り返る特集連載を今日から始めました。気がつくともう17年も前の話になるのですね。4人の幼い女の子を次々と誘拐して殺した犯人の処分がまだ終わってなかったと言うことに、驚きと馬鹿馬鹿しさと憤りすら覚えますが、最高裁には、今度こそきっちり落とし前をつけてくれるのだろうと期待いたします。それはまた17日の日記に認めることになるでしょうから今日は書かないで置きますが、今日は一言、この特集記事について感想を述べておこうかと思います。
 記事の内容は、半分近くを精神病を装おうとした被告の様子を、裁判所の依頼で精神鑑定し、証拠採用された慶大名誉教授や、被告からの手紙を10年に渡って受け続けた雑誌編集長のコメントをベースに組み立てられています。精神病と偽って刑を免れようとしたり、警察に押収された私物の状態を気遣う物にこだわる性格などが書き込まれていて、今更ながらに興味深く読みましたが、一方でマスコミによるある種の偏見は、まだ拭い難く存在しているのだな、と改めて認識もさせられました。
 それは、見出しの付け方です。
 一番大文字で真ん中やや上にドカン、と書いてあるのが、「モノに執着」の文字。ついで中央には縦書きでやや小さめのフォントで「精神病に強い関心」、とここまでは記事にも結構行を割いて詳しく書かれています。
 ところが! 更にもう少し小さなフォントでグレーの帯を付けた次の見出し、「アニメ専門誌 拘置所に取り寄せ」。記事の内容を見ると、先の雑誌編集長のコメントとして、「アニメ専門誌や漫画同人誌の展示即売会のカタログも取り寄せている」と4行38文字を書いているだけなのです。それについての分析や意見もありません。そんな付け足しみたいなコメントを、わざわざ帯付き見出しに使う意図は一体何なのでしょう? 「アニメ=異常」というステレオタイプな偏見を自ら明示しただけではありませんか。そもそも読者の内の何人が、「漫画同人誌の展示即売会のカタログ」何てモノを、正しく認識したりできるのでしょうか? この記事を書いた記者自体、それが一体何なのか理解した上で書いているのでしょうか? 理解していないのだとしたら勉強不足も甚だしいですし、理解しているのだとしたら、読者層に対する理解がはなはだ乏しいのではないか、とその独りよがりな書き方に苛立ちを覚えます。世間を震撼させた一大事件の幕引きが迫る中、相も変わらず子供に対する異常犯罪が絶えない世の中に発する特集記事だけに、内容的に期待するところも多々あるのですが、第一回からこんな色眼鏡を自らかけていることを意識していない筆者に、どれほど意味のある特集記事が書けるのか、はなはだ不安が募ります。記事の末尾には、「改めて「宮崎事件」を見つめ直してみたい」と添えられておりましたが、その言葉を発する覚悟があるのなら、もっと意識して客観的な視点にたって事件を見つめ直すことが出来るよう、自身の記者生命をかけて記事を書いてもらいたいものです。

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フィルムで撮影なんてもうはやらないのでしょうけど・・・。

2006-01-13 22:04:52 | Weblog
 昨日の晩からどうも頭が痛いのが気になっておりましたが、寝不足のせいと思いこんでいたので早く寝ることだけ考えておりました。おかげでまずまずの時間に蒲団に入り、最近にしては珍しく速攻で熟睡出来たのですが、朝になってみると頭に加えて喉も痛みます。どうやら頭痛は風邪の初期症状だったみたいです。そう言えば妙に寒気もしていましたし、もっと早く気づいていれば薬飲んでましな朝を迎えられたはずでした。とりあえず遅まきながら今朝から風邪薬飲んでいますが、頭痛は比較的早くなくなったものの、ヘンに生暖かい風が気持ち悪い一日だったせいもあったのか、とにかく眠気が強くて疲れました。今日も出来るだけ早く寝て、早々に風邪を治してしまいたいところです。
 
 ニコンがフィルム・カメラの製造を大幅に縮小するそうです。旗艦のF6と入門用のFM10だけ残して、残り6機種は全部中止だとか。1960年にニコンFを出して以来およそ半世紀、この数年で急に台頭してきたデジタルカメラが圧倒的多数になってしまった現状では致し方ないのかも知れません。去年たまたま覗いたカメラ・写真用品ショーだってほとんどデジタル一色でしたし、寧ろまだ8機種も作っていたんだ、という驚きの方が大きかった位です。私は高校大学と7年写真部にいて、ネオパンSSと酢酸臭の籠もる暗室に青春を燃やした学生だったのですが、今時の写真部というのは、引き伸ばし機の代わりにフォトショップが動く高速のPCと大型のフルカラープリンタでも置いているのでしょうか? 100フィートフィルムを詰めるためになじみの写真屋で分けてもらった空のパトローネの代わりに、各種フラッシュメモリの類やCDーRなんてのが転がっていたりするのでしょうか? アナクロな私としては、くらーい赤色灯の下で、引き伸ばし機のヘッドの方向を変え、ストップウォッチ片手にでかい全紙へ薄暗い光を当てては、濡れるとすぐふにゃふにゃになる印画紙を冷たい現像液にむら無く漬けるために苦労したあの頃の充実感を、そんなデジタルな環境で得られるのか疑問なのです。きっと、それこそ懐古趣味以外の何者でもないのでしょうし、私自身、今はもうフィルムを使うことも希になり、普段はデジカメで撮影してフォトショップで色々加工もしていたりします。それでも事情が許すなら、ちゃんとした暗室をおうちの中に据えてみたいものだと思うときがあります。小学生の頃、ピンホールカメラで撮影した印画紙を、こたつの中で現像したのが始まりでしたけど、赤い光に染められた印画紙が透明な液の中でゆっくり像を浮かび上げる様は、やっぱりデジカメでは味わえない写真の楽しみ方なのではないかと思います。少々虫のいい物言いではありますが、フィルムや印画紙、現像関連の各種機材や薬品類、みな少々高くついたりしても構わないので、絶滅だけはしないで欲しいと思います。老後の趣味の一つとして、是非楽しみ直してみたいと思っていたりするからです。そりゃその気になれば自分で印画紙を作ったりすることも出来ないことはない位の知識や化学薬品を扱う基礎的なテクニックは持っているつもりですが、そんな所からスタートしてまともに写真を作るところまで行くのはさすがに大変です。やればやったでそれもまた面白いかも知れないですけど、写真を楽しむ、という範疇からは外れた遊びになってしまうでしょうね。

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Macも遂にインテル採用だそうで。

2006-01-12 21:42:41 | Weblog
 ここのところ寝付きの悪い日が多くて、連休中はそれを朝寝で補っていたのですが、仕事となるとそうもいかず、寝不足な日々が続いております。意識では、「明日考えればいいことは明日考えよう」と思っているのですが、無意識はそう聞き分けがいいこともないらしく、結局夜具の中で妙に目が冴えてしまうのです。いっそ徹夜でも一回してみればその日の夜はぐっすり夢の国に急降下出来るかもしれませんが、その日一日疲労困ばい(「ばい」の漢字が出てきません。こんな事で無駄に時間を食う辞書が腹立たしい)することを想像するだけで、くじけてしまいます。単なる休みぼけならそろそろ醒めて欲しいところですが、あんまり続くようならかかりつけのお医者に睡眠導入剤でも処方していただこうかと考えている次第。
 
 さて、ちょっと気づくの遅れましたけど、インテルチップ搭載のマックが遂に出たんですね。確かうろ覚えでは今年の春か夏、といわれていたように記憶しているのですが、早くも登場したというわけですね。ネットニュースによると、iMacG5よりも2、3倍速くなる、とジョブズが言ったとありますけど、少し検索して調べてみたら、現状ではネイティブアプリが無いため、G4に見劣りしない程度のような感じのようです。まあいずれ本来の速さを発揮するときが来るのでしょうけど、それはそれとして、パワーPCをつかい続けていたときは、インテル製CPUより速いと公言していたその口が、今はあっさりインテルの方がいいというのは何だかなという気がいたします。2月から発売と言うことで予約が始まっているそうですけど、処理速度がいまいちな上、ノートブックタイプはまだバッテリー駆動時間などのスペックが不明なままというていたらくでは、興味はあっても現状では買いたいかどうかと言うレベルで話する対象ではないですよね。私としては、マックOSとウィンドウズが一台でさくさく動いてくれたら、ちょっと興味をそそられるのですが。ただ、個人的にはまだほんのさわりしかいじったことのないOSXよりも、なじみのあるOS9の方が色々不便でも安心して使えますので、Xと窓のマルチプラットホームよりも、OS9が速く動くPCの方がまず欲しかったりします。Xにしたらイラレとかよく使うソフトをアップグレードしなくちゃいけないですし、いろいろ物いりになると言うのも問題なのですよ。

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クローン犬だけは確かに成功していた、と言うのは、本当に信じていいのですね?

2006-01-11 22:48:14 | Weblog
 今日はちゃんとエディタで下書きしてから、ブログへ書き込んでいます(笑)。

 朝の寒さは相変わらずですが、それでもほんのわずかながら、寒さが弛んでいるような気がいたします。それに昼は明らかに過ごしやすくなってますね。日も確実に伸びているのが実感されますし。週末は雨らしいですが、予想気温を見るとかなり高く、一雨ごとに暖かくなる春の気配を呼ぶ雨になりそうです。これが旧暦なられっきとした「春」の訪れなんでしょうけど、さすがにこのまま桜ほころぶうららかな季節にはなるはずがなく、あと少なくとも1回や2回は寒さがぶり返すのでしょう。ともあれ、しばらくでも寒さが弛むのはありがたいことです。
 
 さて、韓国のES細胞疑惑は、完全な捏造と言うことで決着が付いたとのこと。研究者ご本人の強引な説明や、共同研究者のコメントなどをもとに、「ひょっとして」「もしかして」とわずかに期待をしていた私としては、残念な結果になりました。これで、これから飛躍するはずだったES細胞関連の研究が大きく逆戻りすることになったわけで、研究の進展を心待ちにしていた病気の人々や、私のように寿命の延長に繋がるのでは、と夢見ていた者にとっては、まさにがっくり、と言う言葉がピッタリの結果でした。一応過去の業績であるクローン犬については本当だとの結論だそうですが、ES細胞の件も含めて、その検討の内容を公表してないということで、ソウル大の検討その物に疑問を呈する向きもあるようです。また、欧米の研究者の中には、韓国の科学界全体を不信の目で見る人もいるらしいですし、一応のけりが付いたとはいえ、まだまだ韓国科学界を揺さぶり続けそうです。それに、よく調べもせず全面支援してきた韓国政府や大統領を糾弾する声も上がり、研究の問題だけでなく、韓国社会そのものを揺るがす一大スキャンダルになっています。我が国でも過去様々な分野で研究費の不正な使い方が明るみに出たり、研究成果の捏造とか改竄論文とかがばれて、学会がひっくり返るような大騒ぎにはなったことはありますが、国そのものが揺れるような大事件に発展したことはありません。我が国がかの国よりも成熟した冷静な目を持つ国民を育んでいるんだとしたら祝着なのですが、単に科学その物への無関心から大騒ぎにならないだけだとしたら、それはそれで問題だと思います。科学は宗教ではないのですからあのように熱狂的になる必要は全くない、というか寧ろよくないと思うのですが、国民の科学技術に対する関心が高い、と言うのは素直にうらやましいと思います。もっともこの一件を契機にかの国の科学振興政策や、国民の関心ががらっと変わってしまうかも知れませんので、手放しでうらやましがってもいられないのわけですが。
 ここはやはり地道に、我が国の子供達や国民全般に、もっと科学について関心を持ってもらうよう官学あげて努力をするべきなのでしょう。年末年始に胡乱な占い師ふぜいが何時間もテレビに出ずっぱりになっているのを見ていますとそれも絶望的な気がいたしますが。

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休みぼけと睡眠不足で今日はぐたぐたでした。

2006-01-10 21:27:32 | Weblog
 いつもはエディタで書いてからコピー&ペーストで日記を書くのですけど、今日は何となく面倒になって、久しぶりにブログへ直接書き込んでみました。すると、1000字ほど書いたところで突然画面が切り替わり、あっと思うまもなく、 文章がどっかに消えてしまいました・・・・・・。
 これがいやだったからわざわざエディタで書いていたのに、その警戒を忘れた途端この始末です。いったいこの無駄にした時間とやり場のない憤りはどうしたらいいのでしょう。
 ただ、今日に限っていえば、これくらいですんでよかったのかもしれません。実は朝から大分調子が狂っていましたから。
 昨夜は休みぼけもあってなかなか寝付くことができず、やっと寝たと思ったら夢見も悪くて朝4時半に目が覚めてしまい、無理矢理二度寝したら、うとうとする間もなく目覚ましにたたき起こされ、寒さにぐずって布団にくるまっていたら今度は3度寝しかかって遅刻しそうになるなど、脳の6割くらいがまだ眠っているみたいな感じのまま一日過ごしてしまいました。そんなときはいろいろ危ないこともあって、通勤の行きは渋滞の国道で車の左脇をとろとろ走っていたら、突然前の乗用車の助手席ドアが開いて、そこに突っ込みそうになりましたし、帰りは帰りで、遅い軽自動車の後ろについて走っておりましたら、前方の信号が青に変わったのに気をとられた瞬間、前の軽が突然減速したのに気づくのが遅れ、あっという間に視界を埋めるそのハッチに突っ込みそうになるのを、一瞬の判断で対向車がいないのを見極め、センターラインに飛び出すことで事なきを得ました。
 おかげで今は目も覚めていると思っていたのですが、ちょっとした操作ミスで全文書き直ししている自分を改めてみていると、やっぱり大分おかしいなと感じます。ここはやっぱり事故やけがにいたらず、戯れ文一つで被害がすんだ幸運を慶ぶべきなのでしょう。そして、とっとと風呂に入って寝るのが一番いいようです。

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寒い方が儲かるとはいと不思議なことです。

2006-01-09 21:53:30 | Weblog
 結局この連休は、寒いのを理由にしてひたすら籠もりきりの生活をしてしまいました。まあ本読んだりCG描いたりそれなりに有意義に過ごしたとは思いますが、どうも全体としては不活発な気がして、今ひとつ活力に欠ける気がいたします。この冬4度目と言う第一級の寒波も抜けたそうですから、明日からは少しばかり寒さも弛むかも知れませんが、どうせまたすぐに次の寒波が押し寄せてくるのでしょう。チト血圧が気になる我が身を省みれば、やっぱり早く暖かくなってくれないものか、と願わずにはいられません。
 
 さて、私のような者は寒いと冬眠するかのごとく出不精になって、経済活動も消沈してしまうのですが、世間的には寒い方が暖冬よりも経済活動が活発になるんだそうです。第一生命という保険会社の経済研究所なる機関が試算したそうですが、平均気温が下がると、暖房関係や冬物衣料の売れ行きが伸びて消費や輸入が増え、通信や交通費の減少などでマイナスになる部分もあるけれど、全体として見るとプラスになるんだとか。その効果を試算すると、暖冬だった昨年より実質GDPは6千億円以上の増加になるとのことです。
 そのこと自体は、寒いのがあんまり好きではない私には面白くもない話なのですが、とある新聞で、「寒い方が儲かるという言いぐさは、雪害で難儀している人々の苦労に対する配慮が足りない。現在の風潮たる拝金主義的な、人としての道に外れる行為だ。こんな会社は信用できない」とうような強い非難をコラム欄だかにされていたのを目にしました。なるほど、死人まで出て大変な事態になっている日本海側の現状を鑑みれば、寒い方が儲かると嬉々として述べるのはあまりに無神経だと私もその時は思いましたが、しばらくして、ちょっと待てよと考えを変えました。まず、経済効果がある、すなわちお金儲けになる、と言うことが、そんなにあしざまにののしられるような悪いことなのか?と言う点が一つ。それから、第一生命経済研究所には罵倒されるいわれは無いだろう、と言う点が一つです。
 お金儲け云々の話は価値観の相違もあるでしょうけど、モラルとお金儲けは本来別の問題のはずだと私は思うのです。そのこと自体を非難するのは、成功者に対するひがみ、妬みに類する感情なのではないか、という疑いを禁じえません。士農工商と最低ランクに位置づけられた江戸時代の身分制度をいまだに引きずっているんじゃないかとさえ感じます。 もう一つ、研究所の責任から言うと、経済効果を試算したこと自体は何ら間違っていないと私は考えます。たとえ雪害などで艱難辛苦しておられる方々が多数に上ろうと、一方で確かに経済効果は経済効果として存在するのであり、この研究所は、雪害に苦しむ人々を支援したり雪害対策を検討するところではなく、経済という一つの社会現象を解析するのが役割なのですから。従って、この機関の活動において、雪害云々を配慮しなければならない理由はそもそも無いはずです。寧ろ、厳冬や雪害で苦しんでいる人がいるから、というような事を慮ってその役割を放棄する方が間違いではないでしょうか。そうやって出された冷たい数字をどう扱い、人間的暖かみのある数字にしていくのは、政治家なり官僚なり企業なりの役割であり、そうして国民感情などに気を配るべきなのも、その人達の役目でしょう。それに、今回の場合そうやって出た数字が雪害に悩む人達の神経を逆撫でするといってののしったマスコミは、その同じ口で研究機関の公表を報道しているのです。それを考えると、ある意味もっとも罪深いのはそんな二枚舌を弄するマスコミだとは言えないでしょうか? それぞれの役割に対する理解と「配慮」を忘れ、時に冷徹に客観的数字を出すことを嫌悪し、そのこと自体を悪いと言ってしまうのは、悪しき思考停止だと思います。それは、冷静な判断を放棄し、精神力の無限を声高に叫んで国民を死地に追いやった旧軍と同じ思考回路と言うものではないでしょうか?

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今更ながら新刊感想文「未来の白地図」

2006-01-08 22:35:30 | マリア様がみてる
 あんまり早く書くとネタばれになってしまいそうですし、他に日記に書きたくなるようなネタが無い日に取り上げようかと思っていたのですが、そうしていると思っていたよりずっと時間がたってしまいました。今日は、北朝鮮の拉致事件を巡る官房長官の発言とか日航の整備ミスとか秋田県の雪害陸自出動要請とか色々取り上げてみたい話題もありますが、この辺で書いておかないと々も気になってしょうがないので、忘れない内に書いておきます。
 
 さてこの本、もちろん発売日当日にしっかり購入してその日の内に読み切ってしまったのですが、読後感を一言であらわすと、

「?」

でした。
自分は何か読み方を間違えたのかしらん? と早速読み返すこと2回、都合3回立て続けに読んだのですが、やっぱり最初感じた違和感というか、妙に割り切れない不満くすぶり状態が解けませんでした。
 巷間随分指摘もあってSSネタにもされている誤植が気に障ったわけではないのです。そんなもの、このシリーズではある意味付き物ですし、文章がまるっきりおかしいというならともかく、漢字の間違いくらいで意味が分からなくなる訳でもありません。もっとも、幾ら安い文庫だからって編集担当は手抜きしすぎだとは思いましたが・・・。

 それよりもこの違和感は何なのか、とつらつら考えてみるに、一つは可南子と瞳子の仲がいきなり親密になっている事。「あの」瞳子が振りきれないほど可南子が瞳子の心を掴みきっているのが実に不思議でした。前々巻の「スール・オーディション」でさらっと現れた以外は、本巻の柏木のセリフで推測できるのみ。そのうち事情説明のための短編か何か出てくるのかも知れませんけど、今の段階であの関係を脳内補完で理解しろと言われても、どうにも受け容れがたいものがあります。

 とはいえ、これはお話その物を左右するほどの違和感ではありません。むしろ違和感大きかったのが、瞳子に対する、祐巳突然の妹申し込みでした。いえ、妹申し込みが悪い訳じゃないのです。そして、瞳子がお断りしたことも悪くないのです。これは拍手喝采を送りたい待望のシーンだったのですが、ここでの祐巳の行動があまりに刹那的というか、唐突すぎて、一体祐巳の心のどんな動きがあの行動を起こしたのか、がどうにも私には理解できかねたのです。せっかくここまで読者を焦らして来たというのに、その大事な場面がすとん、と拍子抜けしてしまったみたいに感じたのでした。冒頭で家出した瞳子が祐巳の家に「避難」した所や祐巳の部屋に行くことを拒絶したシーン、あまりに鈍感な祐巳に苛立つ乃梨子を叱る志摩子のお姉さまぶりなどは読んでいて大変面白かっただけに、少し引っかかりが強く意識されてしまいます。

 とまれ、瞳子家出の原因もまだ判りませんし、前作でも本作でも披露された柏木の意味深な話など、まだ明かされない謎が多々ある中、次はそのあたりも整理しつつ晴れて瞳子が祐巳の妹に納まって、すっきりした読後感のある話になってくれることを期待いたします。

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今日も一日絵を描いたり適当な妄想に浸ったりして一日過ごしました。

2006-01-07 23:22:46 | ドリームハンター麗夢
 今日は本当に寒くて外に出る気がせず、一日家に籠もりきりでした。そのために割と時間ができたので、拙サイトを少し整理してみました。表紙を正月仕様にして、2004年に描いたCGをまとめてみただけなのですが、何となく更新履歴が賑やかになっていい感じに見えます。あと、密かにある場所を変えてみたりして。スキーの絵なのですが、サイト更新の後にいじったものですから、表ページの更新履歴に改めて載せるのが面倒になってしまったんです。いずれまた時間をとってちゃんと載せようと思います。
 CGの題材のウィンタースポーツというのは結構好きでして、自分ではまるでやる気もないのに、見るのはよいというものが結構あります。スキーもその一つで、冬季五輪は毎回楽しみだったりします。中でもスキーのジャンプは素晴らしいです。今回は現役最年長の人(といっても年齢的には私と近いのですが)が頑張って飛ぶかも知れないと言うことで、そう言う点からも興味は尽きません。ただ、これまで日本ジャンプ界を引っ張ってきた人々がこぞって不信というのが少々心許ないですが。
 
 さて、昨日の日記から更に色々考えていたりするのですが、例えば当時九州や出雲には、大陸から先進的文化や技術が早くから流入して相当有力な勢力があり、瀬戸内海沿岸や尾張、信州にも、それなりの有力なまとまりがあったようです。なのになぜ大和の地だけがそれらを従えるだけの勢力に、一人成長しえたのか。昔の戦国シュミレーションゲームだと、真ん中あたりの国というのは結構扱いが難しかったと記憶しているのですが、そんな不安定そうなところでどうやって力を集め、周囲を切り従えていったのでしょう。恐らく神武天皇かどなたか存じませんが、素晴らしい才能が並々ならぬ努力を払ってこの地を天下の中心地に育て上げたのでしょうね。そんな当時の大和の国の遺伝子は、平安遷都の時ごっそり京都に持って行かれてしまったのでしょう。なごりだけでも減らすまいと、後生大事に抱え込んでしまう内に、その栄光の残滓すら、永年月の内にすり減らしてしまったのかも知れません。
 かつての栄光は既に失われて久しいとしても、この地を日本の中心にしようと企んだ人が見つけたここの魅力はまだ残っているかも知れません。日本を統一するんだ、と言うくらいの気概と進取の心映えが無いと見えない何かなのかも知れませんけど。

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草深き田舎がどうしてかつて我が国の中心たりえたのか、実に不思議です。

2006-01-06 23:48:52 | Weblog
 今日は所用で京都まで車で出かけておりました。前日の天気予報では雪の懸念もあったため、少々不安を抱えてのドライブでしたが、山の方に少し雪が溶け残っているばかりで、道中は全く問題ありませんでした。もっとも、今夜からまた寒波襲来で天気が荒れるそうなので、本当に運が良かったのだな、と思います。
 さて、京都ー奈良間を走るときいつも思うのは、両者の格差です。京都は着々と新しい高速道路を建設したりして往来の便を図ろうとしており、ひと頃に比べて著しく走りやすく、かつ早く行けるようになりました。一方奈良県はと言うと、一応それなりに工事も進めて多少便利になりつつあるのですけど、京都の状況を見るとまるで未開の土地並に遅れているように思えます。作っている道路の見栄えも京都の方が美しいように感じられるのははたして気のせいでしょうか? どう言うわけか、総じて奈良の方が田舎じみて見えてしまうのです。どちらも我が国を代表する歴史ある土地柄ですのに、道一つとっても何故こんな格差が生じてしまったのか、考えてみると不思議です。平城京が数十年しか持たず、今や何もない野原になってしまっているのに対し、平安京が拡張を続けて千年以上たった今も日本を代表する大都市として活動しているという活力の差が、如実に現れているのでしょうけど、その差がいつどのように生じたのか、と言うよりも、逆に言えば、どうして奈良のような土地にかつて日本を支配した中央政権が誕生したのかと言う方が、よほど不思議と言えるのかも知れません。例えばわざわざ宮崎から大阪経由で挑戦して一度は失敗し、それでも諦めずにわざわざ紀州から山越えでやって来るほどの執念を見せた初代天皇は、一体この場所に何を求めていたのでしょう。政争に敗れて京都を追い落とされた後醍醐天皇が、京都政権の向こうを張ってわざわざ奈良県の山奥に南朝を営んだのは、一体何に惹かれて拠点と定められたのでしょう? かつての大和の国には、それほどの有形無形の何らかの宝があったということなのでしょう。ではそれが何なのか、そして、いつ失われてしまったのか。神倭磐余日子尊の東征は単なる伝説なのかも知れないですけど、その伝説を生み出すだけの「何か」がこの大和の地にあったのは確かなわけで、実際に大和朝廷から平城京に至る文化と権力の中枢だった時期もあったのですから、何かあったのは違いないと思うのです。
 今や近畿でも一人発展から取り残された感のある奈良県ではありますが、そういう歴史的経緯を今一度反芻し、かつての栄光の源泉が何であったのかを真摯に考え発掘を試みるのもよいのではないかと思います。そういう発想に基づいた考えが行政のトップにあったなら、石舞台壁画の無惨な姿も、ひょっとしたら無かったかも知れませんし。

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夢判断によると、何か変化が到来するそうです。

2006-01-05 20:41:53 | 夢、易占
 まだ身体から正月気分が抜けきらないのか、夜は今ひとつ寝付きが悪く、昼間眠いという状態が続いております。なかなか寝付けなくて、まるで寝ていないような気もするのですが、ちゃんと夢を見ていることを記憶していますので、全く寝ていないわけでもないようです。しばらくは半身浴でゆっくりお風呂に浸かり、気分をほぐして、身体のリズムが日常に帰するのを待つしかないようですね。
 
 そう言うわけで、今朝見た夢を記録しておきます。

 私はJR在来線(恐らく山陽本線)の電車に乗っています。4人がけボックス席の、進行方向側に向いた通路側の席。ドアのすぐ近くで、進行方向を向いて左側のボックスです。ドアにはなぜか補助イスが有り、後ろ向きに座る若い男性がいます。知り合いの気もするのですが、どうも良く判りません。私は小さな毛布3枚(普段使用しているのと同じもの)、中身がほとんどなくてつぶれている旅行カバン(記憶にない)などの荷物を対面の席に広げ、ボックス席を占拠しています。乗客は程々に乗っているみたいです。目的の駅(終点 多分広島県の福山駅)の2つほど手前で、そろそろ降りる用意をしないと、と気が付き、毛布を畳んでもう一つ手元にあった少しにもつの入っているカバンに詰め始めました。持ってきた食料やおやつを食べるかして、カバンの中は4割方隙間が出来ていますので、そこに詰め込むつもりです。いつもだったら到着ぎりぎりになってから慌てて荷造りを始めて、結局間に合わずに荷物一式抱えて飛び降りたろうに、と思いながら、余裕で3枚の毛布を手際よくカバンに詰め込みました。そこで目的地に到着。私は手元のカバンと対面の中身が空のカバン、スーパーのビニル袋のようなものを抱えて、それでも少し慌ててその列車から降りようとしました。そのとき、いつも首に巻いている緑色のタオルが見つからず、適当に座席の下に落ちていた何枚かの白いタオルを拾ってみましたが、そのタオルは誰かが落としたご飯粒をあちこちに付けており、いちいちそれを取り除くのも面倒なので、タオルの事は諦めました。
 
 うーん、我ながら何てとりとめのない・・・。半分起きていたのか、乗っている電車を、勝手にたまに乗るJR山陽線だと思いこんでおります。福山は、時折仕事で行く町ですが、多分先日よく見に行くさる日記に出ていたので、それが影響しているんじゃないかと思います。まとめきれない荷物を抱えて飛び降りたというのは、その昔見た覚えがある夢の記憶じゃないでしょうか。緑色のタオルは、時々バイクに乗るときにマフラー代わりに首に巻くことがある、少し大きめのタオルです。昨日見かけなくて探していたのですが、その辺のことが夢に反映しているのかも知れません。でも、それ以外ははたして何を意味しているのやら、ほとんどさっぱりですね。

 ところで夢判断では、電車は運命を予知するシンボルの一つで、仕事、人間関係などの変化や物事の節目で見ることが多いんだそうです。もしその通りなら一体どんな変化が待っているというのか、興味がある一方、少々空恐ろしくもあります。

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新聞社の顔である朝刊1面は、もっと大事にしたほうが良いと思うのですが・・・。

2006-01-04 21:44:32 | Weblog
 仕事始めはやっぱり大変でした。まず、朝起きることが出来ません。目覚ましのおかげで目こそ覚めたものの、蒲団から出る気がしないのです。そのうちにうとうと2度寝してしまってたりして、ようやく起きたのはもう家を出ないと遅刻確実というギリギリの時間。ただ幸いだったのは、まだ世間は正月休みの最中なのか、道路に車があまりなく、普段は渋滞して動かないところもスムーズに通過できた事です。おかげで、思ったよりも早めに到着することが出来ました。まあこんな幸運は今日まででしょうから、今夜こそ早く寝て、明日に備えないといけません。

 さて、朝日新聞というのは面白い新聞で、時折「何でこんな物を?」と言うような記事を一面トップに持ってきたりしてくれます。今朝職場でみたそれには、「旧満州国の中央銀行が阿片専売制に資金提供」という資料が中国の公文書館から見つかった、と書いてありました。まあ近現代史的にはそれなりに価値のあるニュースなのかも知れませんけど、仮にも大新聞の1面トップを堂々と飾るだけの価値があるのか? と、私は首を傾げざるを得ません。しかもその記事は、満州国中央銀行が阿片専売制度確立に重要な役割を果たしていたことが明らかになった、と断言しております。一人の学者が公文書館から文献を発掘したからと言って、それがそう言い切るだけの学術的根拠になりうるのでしょうか? 私は人文科学の世界はほとんど判りませんが、資料がありました、これこの通りでこれから見るとこういうことが言えます、と出されたものが、何の批判も検討もされず、そうですか、それは素晴らしい成果です! と認めてもらえるような世界なのでしょうか? もし本当にそんな世界なら、私は今すぐ自然科学から人文科学へ籍を替えたいと思います。そんな簡単に自説を公認してもらえるんだったら、こんな楽なことはありません。
 でも、いくら人文科学が実験も追試も出来ないからと言って、実際にはそんな簡単でいい加減なことは無いはずじゃないか、と私は考えます。特に歴史関係では、考古学会がかつて旧石器の捏造によって手痛い目を見ていたりもするのですから、歴史学でだって、発掘した、とされる資料その物に対する検討や批判、その内容の解釈についての討論など、もっと真剣かつ厳密に行われていてもいいんじゃないでしょうか? 記事の内容に臭うある種の偏向性も気にはなりますけど、それ以上に自分達の主張に合致するからと、何の躊躇いもなく全面的に一つの学説を支持して見せる無邪気さに危うさを覚えます。それこそかつて日本を誤らせた一方的なものの見方の典型のように感じられるのですよ。

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正月休み最終日はお絵かき三昧ということで。

2006-01-03 22:17:06 | ドリームハンター麗夢
 年末年始のお休みも今日で終わり。明日からはまた仕事が始まるのですが、すっかりぐうたらな生活スタイルに浸ってしまった私としては、はたして無事明日朝目を覚ますことが出来るのか、ちゃんと職場まで通勤できるか、などなどと色々不安が嵩んでおります。まあ明日のことは明日悩むことにして今日は早めの就寝を心がけようとは思いますが、夜更かし三昧が祟って寝付けなくなっているかもしれず、うまくすうっと夢の国に直行できるかどうか。何にせよ、明日は相当な休みぼけ状態で一日過ごすことになりそうです。

 さて、本当は年の初めの試しとて、昨日描いてしまいたかった年賀CGですが、何故か昨日は腹痛などで具合が悪く、何をするでもなく半覚半睡な一日を過ごしてしまいました。そこで今日改めて気合いを入れ直して、年賀CGに没頭しました。ただ、ぼけぼけ状態が多少なりとも改まってきたのが午後3時も過ぎたあたりだったので、正直今日中は無理かな、と思っておりました。晴れ着を描こうと思ったわけですが、実際どういう構造になっていて、どう着ているのか、良く判らなかったので、まずはそれを調べるところからスタートしたわけです。大体理解したところで描きはじめたのですが、次はどういう構図にしたものかいいかが思いつけず、結局割とありきたりな形にしてしまいました。あとは下描き段階で予定していた構図を修正して描きやすい形に直し、とにかく完成を急いだおかげか、何とか日頃御世話になっている皆様方に、年賀メールとして出すことがかないました。サイトの方には、1日2日置いてから、改めてアップしようと思います。それまでにもう少し直せたら治したいところですが、手を入れると余計おかしくなっていきそうな気もいたしますし、お絵かきというのはやっぱり難しいものです。
 
 昨年は結局12枚、お絵かき掲示板を加えると16、7枚絵を描いたはずなのですが、今年はどれだけ描けるでしょう。出来はともかくとして、間違いなく描く速度は上がっておりますので、この際ずっと企画段階で止まっているアニメーションをなんとか形にしたいところです。物になるかどうか判りませんけど、今年の目標と言うことで取りあえず掲げておきます。それはともかくとして次のバレンタインデーCGを早めに用意するのがまず直近の目標ですね。
 
 
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減ったとはいえ、まだ7000人も人が死ぬ殺人システムが、この国では日夜稼働しております。

2006-01-02 23:35:59 | Weblog
 いつの間にか、郵便局は休日返上になっていたのですね。確か以前は元旦一回配達、2日は配達休みだったように思ったのですが、今年気が付いてみると元旦は2回、今日二日にも年賀状が配達されておりました。民営化と言うことで必死なのか、サービスの向上ぶりが伺えます。とはいえ、そこまで熱心に仕事する必要があるのか? と逆に問いかけてみたいところではあります。もはや正月と言えどもゴールデン・ウィークやお盆休みと同じ、単なる連続休暇に過ぎない時代になっているのは理解しているつもりなんですが、元旦からあちこちでお店が開き、年賀状がばんばん配達されると言うのが私には異様に映ります。何かすごく忙しくて余裕に欠けるせわしなさを覚えるのです。時代の変わり目に遭遇するというのは、こういう気分にさせられると言うことなのでしょう。
 
 さて、昨年の全国における交通事故死者数が、実に49年ぶりに7000人を下回ったそうです。警察庁は「道交法改正による罰則強化や取り締まり効果」だと自画自賛ですが、私は、ちょっと待て、と言いたいです。交通事故数は確かに昨年より減りましたが、去年までは100万件に届くかどうかと言う2年連続最悪の発生件数を記録し、それが2%程低下したに過ぎません。けが人にいたってはいまだに100万人を大きく突破しております。要するに、死ぬ人が減っただけなのです。事故の内容までは判りませんけど、日常道路を走っている感覚からすれば、事故の内訳が、死者が出そうな大変な事故から軽微な事故に変異してきたというのではなく、単にすごい事故でも死ににくくなった、と言うこと何じゃないかと思うのです。
 その主な原因は、一番は車の安全装備の充実でしょう。ABSブレーキやエアバックの標準装備、車体の衝撃吸収構造の進展など、今の車は10年前の車に比べて事故を起こしにくく、かつ車内の人の安全を確保するための装備が格段に進歩しております。警察の取り締まりで功を奏しているのは、せいぜいシートベルトの装着を徹底させているくらいのことではないのでしょうか? 日常的な速度超過や信号が変わっても平気で交差点に突っ込んでくる無謀運転など、運転マナーに関しては明らかに悪化しているように感じるのです。そんな状況に目をつぶって我らの勝利とのたまうのは、あまりに無邪気というか、馬鹿馬鹿しくも見苦しい浮かれようでしょう。
 少なくともそうやって自分達の成果として上げたいのならば、まず交通事故の原因を単なる運転手の不注意とか安全運転義務違反などでお茶を濁すのではなく、なぜ運転手が不注意を犯したのか、なぜ安全運転の義務を逸脱するようなことになったのか、を、運転手の心理、車や道路環境も含めての人間工学的な視点からの問題点の洗い出しなどを行い、それぞれについて今日の死亡者数減少がどれくらい貢献したかを客観的に算出した上で、自分達の取り締まり効果というのを示していただきたい。第一、「まだ」年に7000人近くの人間を殺すシステムがそのまま稼働し続けているという冷酷悲惨な現実を本当に直視しているのなら、減った減ったと喜んでばかりもいられないはずです。

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いまさらながら正月らしくない正月ですが、正月は正月です。

2006-01-01 23:59:01 | Weblog
 今日は年始の挨拶に実家へ。車で走っておりますと、今更ながらではありますが、もう正月というのは特別な日ではなくなってきているのを実感させられます。
 お店は大抵あいてますし、スーパーには生鮮品もちゃんと並んでいます。実家で餅をつかなくなって久しく、お鏡餅もできあいのプラスチックフィルムに充填した奴になっておりました。
 おせち料理も無いし、正月だからと言って特に違うことをするでもない。テレビ番組だけが、相も変わらずどうでもいいようなバラエティを流しているのが、今も変わらない正月風景と言えるでしょうか?
 そうそう、普段混まないところで混雑するのも正月らしいと言えばらしいです。我が家の近所の橿原神宮周辺は、初詣の車で大渋滞しておりました。あんな苦労してお参りするくらいなら、近所の鎮守様にでもお参りした方が余程御利益がありそうだなと思いつつ、その渋滞を眺めておりました。
 何はともあれ始まった2006年。今宵結ぶ夢が初夢になるので、一つそれくらいは気合いを入れて正月らしく良き夢見を目指しましょうか。「なかきよの~」とやってから寝るのも良いかも知れませんね。

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