ウィズコロナの時代の中で私たちができることは、私たちの生活は、私たち自身がいろいろと関係し合うことで成り立っていることを、当たり前のようですが、いま一度考えることからだと思います。社会を意識することをあまりしなくても、これまでは生活することができたけれども、混乱する時代の中では、私たち自身が社会をつくるという意識が大事だと思います。
そして、政治については、政治家がお金をふるまってなにかをしてくれるというイメージを一度なくし、国や自治体が使うお金は他人の財布ではなく、他でもない私たち自身の財布のこと、自分たちの収めている税や、将来世代の借金だと考えることが必要で、だからこそ、私たち自身も政策の選択に関わっている意識を取り戻すことが必要ではないでしょうか。
上記の二つのことから考えるのですが、災害対応の場面での「自助・共助・公助」と同じように、新型コロナウィルスへの取り組みを考える必要があると思います。
「公助」の対策や判断だけで、いまのリスクを乗り切れるということはないと思います。「公」でできることにも限界があると考えます。非常時で緊急事態ですので、赤字国債の増発もやむなしと考えますが、だからといって、それは永久に行えることではないはずです。ハイパーインフレにつながるかもしれない、国民の資産と思っていた国債の価値が限りなくゼロになってしまうかもしれない、いろいろなリスクを含んでいること、そしてもしものときは、そのツケはすべて次世代、その先の世代に回ってしまうということを考えの中に入れておくべきだと思います。
そうなると地域づくりや地域共生社会で福祉的な部分をお互いに支えあうことや、地域内での経済循環を意識して消費を行うなど、「共助」の意識で行動していくことが大切になると思います。その中には自治会活動や、その他の地域活動も入るでしょうし、場合によってはネット空間での共助も考えられるかもしれません。今まではどこかの誰かがしてくれると思っていたり、、自分は意識することも参加することも消極的だった活動に、自分のできることから参加して、自分たちなりのセーフティネットをつくること、その一部になることも必要になるのではないでしょうか。友だち同士で支えあうこともありでしょう。
そうして「自助」でなにができるかを考えると、自分の身は自分で守るということだけではなく、家族として支えあうことも積極的に考えたほうが良いでしょう。家族に期待できない、頼ることが難しいというのであれば、「共助」の支援で乗り切っていくことを考える、そして動くことが「自助」にもあるということで良いのではないでしょうか。なににせよ、自分で考え行動することが大切だと思います。それが「自助」と考えます。
こう書くとなにか難しいことのようですが、マスクで考えるとわかりやすいかもしれません。
政府による2枚のマスク配布は「公助」のひとつです。手作りマスクは「自助」のひとつですし、自分の作ったマスクを地域に配ったりすることは「共助」のひとつです。マスク不足の解消にはいろいろな要因もあると思いますが、手作りの「自助と共助」が動いたことが、マスク不足の解消につながっただけではなく、感染拡大を抑止することにもつながったのではと思います。
そう考えると、どうしてもお金の動きは「公助」についてに着目されがちですが、「自助と共助」でなにができるかを考え、公助ばかりではなくこちらにも財源をまわすようにするほうが、効果も高く、より多くのことを実現できる可能性が高いと思います。