今回の事件は非常に残念でした。
しかし、私たちが日ごろ目が向いていないことについて、
私たち自身が考えるきっかけとして、
非常に大きな機会になっていると思います。
・これまで、平和憲法の国としてこれたのはどうしてなのか?
これまではいろいろな紛争から遠いところに位置し、
深く関わりを持っていなかったことがあったからではないでしょうか。
・これから、平和憲法の国としてどうあるべきなのか?
グローバル社会という動きの中で空間的な距離は、
移動手段やICTの発達などで非常に近づいたといえ、
その中で私たちの立ち位置を考えるにあたっては、
これまで以上に認識を広げ覚悟すべき部分もでるのではないでしょうか。
このような状況の中でいろいろな言葉が発せられていますが、
大切なことは、言葉に流されるのではなく、
私たち自身が立ち止まり自分事として考えることと、
判断として出てくる考えについても検証することだと思います。
今回の件で私が考えていることは、
自衛隊を海外に出しやすくすべきではないと考えますし、
日本の支援はある地域で困窮している人たちの生活を支える為や、
生活を再建するためということを明確にすべきだと思います。
紛争地域に関わるということは、
そこに送られることになる人たちにとっても、
相手側となる人たちにとっても、
精神的にも肉体的にも苛烈であること、
また、そこに巻き込まれる人たちにとってもそうであることを、
私たちは忘れてはいけないのだと思います。
しかし、私たちが日ごろ目が向いていないことについて、
私たち自身が考えるきっかけとして、
非常に大きな機会になっていると思います。
・これまで、平和憲法の国としてこれたのはどうしてなのか?
これまではいろいろな紛争から遠いところに位置し、
深く関わりを持っていなかったことがあったからではないでしょうか。
・これから、平和憲法の国としてどうあるべきなのか?
グローバル社会という動きの中で空間的な距離は、
移動手段やICTの発達などで非常に近づいたといえ、
その中で私たちの立ち位置を考えるにあたっては、
これまで以上に認識を広げ覚悟すべき部分もでるのではないでしょうか。
このような状況の中でいろいろな言葉が発せられていますが、
大切なことは、言葉に流されるのではなく、
私たち自身が立ち止まり自分事として考えることと、
判断として出てくる考えについても検証することだと思います。
今回の件で私が考えていることは、
自衛隊を海外に出しやすくすべきではないと考えますし、
日本の支援はある地域で困窮している人たちの生活を支える為や、
生活を再建するためということを明確にすべきだと思います。
紛争地域に関わるということは、
そこに送られることになる人たちにとっても、
相手側となる人たちにとっても、
精神的にも肉体的にも苛烈であること、
また、そこに巻き込まれる人たちにとってもそうであることを、
私たちは忘れてはいけないのだと思います。