鈴鹿市議会議員 中西だいすけの活動日誌

鈴鹿市議会議員として年齢も含め5期目のベテランになりました。日々の活動や感じたこと、議会での動きなどをつづります。

感染症への意識

2020年02月03日 09時46分44秒 | Weblog

新型のコロナウィルスによる感染症が、前回ブログに書いた時よりも広がりを見せています。中国だけでなく、実際は日本国内でも症例は多いように思うところです。今のところ、日本国内でのヒトヒト感染による日本人の重篤事例が出ていないことは、幸いな状況と思います。今わかっている状況では、重篤になる割合が低いようで、手洗いやマスクなど、風邪やインフルエンザと同様の予防対処が効果がありそうで、そこに大都市などへの不要不急の外出を控えることで、地方都市では過敏になりすぎなくても良いような雰囲気があると思います。

今後どのように展開していくかはわかりませんから、個人として十分に注意を払うことは必要だとは思います。また、軽くみてしまうことも良くないのではないかと思います。インフルエンザのように、ウィルスを抑える薬もはっきりしていない中なので、それはある程度やむなしというところではないでしょうか。
 
ただ、今回のコロナウィルスについて、ここまでの一連の動きから考えると、このような感染症に対して、危機意識が乏しかったのではないかと考えます。中国やWHOにしても、早期に中国国内での移動制限などをかけて、その上に、海外への渡航についても制限をかけることで、世界規模にリスクを拡散することを抑制してよかったのではと思います。
 
また、日本についても、中国での状況の情報、といっても私たちはメディアなどを通じて得られるものですが、そのようなことから考えて、春節での大移動前はもちろんですが、もう少し早期に、感染者や感染疑いの強い人の入国について、制限をかける意識があってもよかったのではないかと思いますし、その点を、中国側に申し入れるなどもあったのではないかと思います。
 
結果として、ウィルスが全国的に拡大するリスクを負っているのは事実であって、致死率が低ければいいということで、そのことをうやむやにするのは良くないと思います。これが重篤化率が高いウィルスだったらどうするのでしょうか。そう考えると、今回、ウィルス拡大が容易に想像できる中で、経済優先で中国からの観光客受け入れの対応をしてしまい、ウィルスの国内拡大が考えられる状況になってしまっていることについて、もし、ワクチンもなく致死性の高いウィルスだったらと考えて、対応の検証をいまからでもするべきだと思います。
 
1月25日と26日に東京に研修に行っていましたが、そのときは、駅や街中でもそれほどマスクは意識されていなかったように思います。それが1週間で鈴鹿でも、マスクについて品薄の状況があると聞きます。そのことを考えると、大規模地震への備えのための食料の備蓄と同様に、マスクについても家庭である程度備蓄する考えを推奨してもいいかもしれません。そうすることで、一気に需要が起こったときに、社会的混乱を抑制することにつながるかもしれないからです。
 
パニックになることは抑制しなければいけません。そうならないように事前に想定し、対応をとれるようにしておくことは重要ですし、必要なことではないかと思います。それに加えて、感染症についての危機意識を、日本社会全体としてもう少し高めておく必要があるのではないかと思います。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

災害の時代の中で

2020年02月02日 23時12分00秒 | Weblog

気候変動の影響についての声がどんどん大きくなっています。地球温暖化の原因と考えられる人間活動に対しても、厳しい視点での意見が相次ぎ、国際社会の動きに影響を与えています。一方で、人間活動の影響は少ないという意見や、温暖化はプロパガンダだというような意見もあり、ある意味で人間社会も不安定な要素を含みながら、次の時代に向かっているように思います。


ただ、気候は決して一定ではなく、温暖な時期と寒冷な時期によって海水面は変動して、海岸線は変動していることは、縄文期以降これまで、日本の遺跡などからもわかっていることだと思います。人間活動がなくても、太陽の黒点活動や、火山の噴火などの影響を受けたりして、気候は変動するものだと思います。
 
ただ現在は世界の人口が増大し、さらにそこに過去に蓄積されたエネルギーを使って人間活動を行うことで、過去のエネルギーを現在に放出するような形で気候に影響を与えているのも事実だと思います。そういう部分で、気候の不安定化の要因に、人間の活動は関係していると思います。
 
昭和に入ってからの時代、戦後の大きな混乱を経て、大きな地震災害による大きな被害からも復興ができてきたことは事実だと思います。阪神淡路大震災の被害からも復興が進められました。同じような考えで被害からの復興ができると思われていましたが、東日本大震災の津波被害の現実をみて、本来は考えを変えるべき転機だったのではないかと思います。しかし、人の力を越える災害は起きるから、人がインフラで抑止するには限界があるのに、インフラを整備すれば解決するとばかりに、そちらに意識が向きすぎていたり、従来の復興手法で取り組んだことから、災害があれば国がなんとかしてくれるという意識を強くしてしまい、問題を先送りにしてしまってはいないでしょうか。
 
少し前のNHKの番組で、首都直下地震により日本は衰退するという視点で作られたものがありました。たしかに大きなダメージを受けるだろうとは思いますし、経済が落ち込む可能性も高いと思います。しかし、グローバル経済の前提ではなく、日本の中で立ち上がることが可能ではないかと思います。そこに未来の可能性があるように思うのです。だからこそ、起きてからではなく、起きる前に考えを変えることが、いま必要なことだと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若い世代とのつながり

2020年02月02日 21時38分17秒 | Weblog

ここ数年、若い世代の市政への参画に着目、いろいろと意識しながら発言したり、実際に視察や研修などにも参加してきています。大学生のインターンを受け入れていることもそうですし、今年で言えば、大正大学の浦崎先生のお話や、高校生地域創造サミット、神戸高校の鈴鹿学の取り組み、高専と医療大学で開かれた鈴鹿市総合計画後期計画のまちづくり意見交換などに参加をして、高校魅力化の推進、若い世代の参画の重要性を実感しているところです。

そのようなことを通じて強く考えることは、若い世代の声を聴くことや、自治体の意思形成の場への若い世代の参画に対して、足踏みをしている自治体は、地域の力をどんどんと衰えさせていくことになるのではないかということです。

なぜなら、そのような機会が少ないということは、自分のまちのことを「自分ごと」として考える機会が少ないということですし、声を聴いてもらえないまちに「愛着」を形成することも少ないのではないかと考えるからです。そのことは、積極的にまちに関わりながら居住することよりも、外に出て、自分を受け入れてくれると考えるまちへの憧れを強くすることになり、結果として、若い世代がまちから出ていくということにつながるのではないでしょうか。

鈴鹿市議会ではこの1月、市内4校の公立高校で議会報告会(意見交換会)を開催しました。1校は学年集会の形式、3校は生徒会中心の少人数での開催でした。3校について会場にいましたが、懇談することで生徒の皆さんとの距離が近づくことを感じましたし、事後アンケートなども含めて、このような議会が積極的に高校と関わることの意義も確認しました。

高校と議会の連携に可能性があることは、数年前に岐阜県の可児市議会と可児高校の取り組みをお聞きしたとき、すでに感じたものでした。その後、新城市の若者議会の取り組みや、子ども施策における子ども参加の取り組みを学んだときにも感じたもので、それが昨年度の市議会本会議場でのティーンズミーティング(鈴鹿市議会高校生報告会)の実施につながり、今年度の取り組みにつながったことは感慨深いものがあります。

昨年から今年にかけて、自分なりに今回の取り組みにつなげるためにがんばってきたつもりです。この取り組みが続いていくよう、また、より深まっていくように関わり続けたいと思っています。自分から関わらないことを選択することはありません。ご意見やご支援を頂ければ幸いです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする