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「養源院」に行ってきました

今朝の東京は薄曇り
昨日の「箱根駅伝(往路)」は 東洋大が5時間27分13秒で2年ぶり5回目の往路優勝。先ほど復路のスタートが切られましたが、箱根は相当冷え込んでいるようで、スタート時に足を滑らすランナーもいました。

さて、こちらは先日訪れた「養源院」のお庭

三十三間堂のすぐ側にありながら初めて訪れた養源院は、1594年(文禄3年)、近江国淺井郡(今の滋賀県長浜市)にあった山城・小谷城の戦いに敗れ自害した父・淺井長政の霊を弔うために、淀君が建立したお寺で、「養源院」という名前は淺井長政の法名に由来するそうです。
その後、元和5年(1619年)火災により焼失し、元和7年(1621年)「江姫」で知られる淀君の妹である徳川秀忠の正室・崇源院の願により再興されましたが、その本堂が、元和5年(1619年)に破却された秀吉の伏見城の殿舎を移築したものとされます。
本堂の正面と左右に連なる廊下は左甚五郎の作と言われる「鴬張り」で、その天井は「血天井」として知られていますが、実際に訪れたのは初めて。

「血天井」とは、関ヶ原の戦いの前哨戦ともいわれる伏見城の戦いで鳥居元忠以下1000人余りが城を死守し、最後に自刃した廊下の板の間を供養のために天井としたもので、武将達の遺体は残暑の残る8月から9月中旬まで放置されていたと言われ、そのため今も生々しい血の痕があちこちに残っています。
(実際に見上げると 相当不気味…   当然のことながら 写真はなし)

養源院は血天井の他にも美術の教科書では必ず取り上げられている、俵屋宗達の杉戸絵(白象図や唐獅子図など)や金地着色松図の襖絵などがあります。



ただ、お世辞にも展示状態は良いとは言えず、現在宗達の作品で国宝に指定されているのは建仁寺の風神雷神図など3点で、こちらにあるのはいずれも「重要文化財」ですが、扁額に『国寶』とあるのはいただけません。

境内には江姫が信心したと伝えられる弁天堂(下の写真)や、本堂に至る参道の両脇には桜の古木もあり、紅葉の時季もなかなかよさそうなお寺でした。



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