Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ポペルカ/N響

2025年02月10日 | 音楽
 ポペルカがN響に初登場した。1曲目はツェムリンスキーの「シンフォニエッタ」。ツェムリンスキーの作品は好きなのだが、「シンフォニエッタ」は勝手が違った。「抒情交響曲」や「人魚姫」や「フィレンツェの悲劇」にくらべると、リズムが鋭角的で、和声が明るくてモダンだ。わたしは曲に入り込めなかったが、演奏は明快だった。

 2曲目はリヒャルト・シュトラウスのホルン協奏曲第1番。シュトラウスがまだ10代の若書きだ。人気作ではあるが、わたしは第2番の方がシュトラウスらしくて好きだ。ホルン独奏はバボラーク。相変わらずの名手だ。髪が白くなった。アンコールがあった。甘いメロディーの曲だ。帰りがけにロビーの掲示を見たら、ピアソラの「タンゴ・エチュードNO.4 Meditativo」とあった。

 プログラム後半は、3曲目がドヴォルザークの交響詩「のばと」。冒頭のチェロとコントラバスの付点のリズムが明瞭に聴こえる。少しも引きずらない。ポペルカはコントラバス奏者だったからか(ドレスデン国立歌劇場の副首席奏者だった)、とくにコントラバスのリズムが粒だっていた。そのリズムに乗って流れる第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの弱々しい音が、わたしをこの曲の世界に引き込んだ。

 中間部のボヘミア的な舞曲は、むしろ薄めの音で演奏された。楽しい舞曲ではあるが、曲の背景にある悲劇を忘れさせない。物語の転換点に当たるヴァイオリン・ソロの音が美しかった(本年4月から第1コンサートマスターに就任する長原幸太の演奏)。曲の最後は余韻を残して終わった。

 「のばと」は比較的演奏機会の多い曲だが、ポペルカ指揮N響のこの演奏は、曲の核心をついた演奏だったのではないだろうか。悲劇ではあるが、悲劇一色に塗りつぶさずに、明暗のコントラストを細かくつけて、ニュアンス豊かな絶妙の演奏だった。

 4曲目はヤナーチェクの「シンフォニエッタ」。何度も聴いた曲で、N響では2019年にフルシャの指揮で聴いたばかりだが、そのときとくらべても、今回の演奏は感銘深かった。音の純度の高さは、もしかするとフルシャの方が上だったかもしれないが、今回は音に温もりがあった。中欧的な温もりと、ヤナーチェク独特の澄んだ音にわたしは共感した。最後の第5楽章で金管のバンダが戻ってくるところでは、思わず身震いした。

 この曲を書いたころのヤナーチェクは、妻のズデンカをほったらかして、カミラに夢中になっていた。身勝手で愚かな男だった。だが、そんな男だったから、光り輝くようなこの曲を書けたのだろうか。だとしたら、芸術とは何だろう。
(2025.2.9.NHKホール)
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ツァグロゼク/読響

2025年02月08日 | 音楽
 ツァグロゼクが指揮した読響の定期演奏会。曲目はブルックナーの交響曲第5番(ノヴァーク版)。第1楽章が始まる。音楽がブツブツ切れる。ゲネラルパウゼが頻繁に入るから当然なのだが、なぜか音楽が流れない。第2楽章もその違和感が残った。わたしの好きな第2主題(弦楽合奏で悠然と歌われる主題)が浮いて聴こえる。

 第3楽章スケルツォに入ると、ぎこちなさは消えて、通常運転になったが、トリオのコミカルな味が出ない。同様に、主部に挿入される(トリオに似た)のどかな楽想も、十分には生きない。第4楽章になると力感あふれる演奏が展開して、わたしは圧倒された。第3楽章までは気になっていた演奏スタイルが、第4楽章で一気に実を結んだ感があった。

 以上がわたしの聴いた演奏だ。終演後の長い静寂、そして爆発するように起きたブラヴォーの声と拍手は、皆さんがわたしとは違って演奏に深い感銘を受けたことを物語った。わたしだけが何かに引っ掛かっていたのだ。

 わたしも演奏が強固な意志に貫かれ、有無を言わせぬ説得力があったとは思う。今82歳のツァグロゼクの精神力と体力、そして読響の合奏能力の高さに目をみはったことも事実だ。なので、そこで提示されたブルックナー像が、わたしのブルックナー像とは違っていたと言うしかない。

 端的に言うと、ツァグロゼクと読響が演奏したブルックナーは、わたしにはドイツ的過ぎた。言うまでもないが、ドイツとオーストリアは似て非なるものだ。両者は感性がそうとう異なる。ドイツとくらべてオーストリアは、こう言ってよければ、どこかいい加減なところがある(悪い意味で言うのではない)。そのいい加減さ(と言っていいかどうか)がオーストリア独特の風土を生む。ブルックナーはその風土から生まれ、その風土を体現しているとわたしには思える。

 そんなことを思うのは、2015年にザルツブルク音楽祭でハイティンク指揮ウィーン・フィルが演奏するブルックナーの交響曲第8番を聴いたときに、ウィーン・フィルの心底から安心したような演奏に感銘を受けたからだ。ハイティンクの指揮だったからということもあるかもしれないが、それに加えて、ウィーン・フィルにとってブルックナーはやはり同郷人なのだと感じた。ベートーヴェンとは違うのだろう。

 ツァグロゼク指揮読響のブルックナーは、終始音が緊張していた。それがわたしの感じた違和感だ。だから第3楽章のトリオも、主部の中間部も、のどかな味が出なかった。また、だからこそ第4楽章がまれにみる圧倒的な演奏になったと思う。
(2025.2.7.サントリーホール)
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秋山和慶「ところで、きょう指揮したのは?」

2025年02月05日 | 音楽
 秋山和慶の「ところで、きょう指揮したのは?」(アルテスパブリッシング、2015年)を読んだ。秋山和慶の指揮活動50年を記念して出版された回想録だ。

 秋山和慶の逝去にあたり、多くの人が語る「ベルリン・フィルから3度も招聘されたが、東京交響楽団の定期演奏会などの予定が入っていたので、断った」というエピソードも書かれている。秋山和慶の言葉を引用すると――

 「あのとき「秋山はなぜ、要請を断ったのか」と言う評論家がいたそうです。「ばかだな」という声も、回りまわって私の耳に入ってきました。受けていれば、私のその後の人生は変わっていたかもしれません。でも、私には、自分の楽団を放っておいてベルリンに行くことなどはできない、してはならないと思います。」(P.11)

 秋山和慶といえども、野心はあっただろう。でも、その野心を抑えることができた。それはすごいことだ。普通の指揮者ならできない。それができた秋山和慶だから、その逝去にあたり、多くの人が哀惜の声をあげたのだろう。

 本書は上記のとおり2015年に出版された。秋山和慶はそれから10年間指揮を続けた。その10年間の指揮は感動的な高みに昇った。2024年9月21日に東京交響楽団を振ったブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」はその頂点だったと思う。すべての余計なものを削ぎ落して、輝くように崇高なブルックナーだった。

 その演奏を聴いていない人も多いだろう。今YouTubeで視聴できる動画でいえば、2024年7月6日にN響を振ったブラームスの交響曲第4番が、秋山和慶の最晩年の指揮法をうかがうことができる好例だ。上半身をほとんど動かさずに、小さな腕の動きでオーケストラをコントロールする。N響のメンバーが見る見るうちに真剣な表情になる。一方、たとえば2012年11月22日に九州交響楽団を振ったブラームスの交響曲第1番は、まだ腕の振りが大きい。秋山和慶は最後の約10年間で変わったのだ。

 興味深い動画は、2023年11月5日に「さきらジュニアオーケストラ」(滋賀県栗東市)を振ったベートーヴェンの交響曲第4番他の動画だ。一部大人の補強メンバーが入っているが、基本は子どもたちのオーケストラだ。その子どもたちが真剣な目で演奏する。秋山和慶はこのような尊い仕事をしていたのだと思い知る。

 秋山和慶の言葉を引用する。「ジュニアなどの指導をしようとしない人もたくさんいます。」と言いつつ、次のように言う。「たとえば東京大学の総長は偉いでしょう。でも田舎の学校で本当に子供たちに愛されている校長も偉いのではないか。」(P.183)と。
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秋山和慶を偲ぶ

2025年01月29日 | 音楽
 秋山和慶が亡くなった。本年1月1日に自宅で転倒して、重度の頚椎損傷を負った。1月23日に家族の名前で引退が表明された。そのときの発表文によれば、引退は「意識がはっきりしている本人と家族によって十分に話し合われた結果決めたこと」であり、「秋山和慶は、これから厳しいリハビリとの戦いになります」とあった。それから3日後の1月26日に肺炎を起こして亡くなった。享年84歳。

 わたしは秋山和慶の生き方に共感していた。秋山和慶は1964年2月に東京交響楽団を指揮してデビューした。当時23歳だった。ところがその翌月に(同年3月26日に)東京交響楽団は解散した。TBSの専属契約が打ち切られたためだ。同年4月9日には当時の楽団長の橋本鑒三郎(げんざぶろう)が入水自殺するという悲劇が起きた。

 秋山和慶は苦境にあった東京交響楽団をひとりで支えた。斎藤秀雄門下の兄弟子の小澤征爾が世界を目指していたころだ(N響事件が起きたのは1962年12月だ)。秋山和慶は小澤征爾とは対照的な生き方をした。

 秋山和慶はその後、東京交響楽団の音楽監督・常任指揮者を退任する2004年まで、40年間にわたり同楽団の指揮者を務めた。退任後も同楽団と緊密な関係を保った。

 最後に聴いたのは2024年9月21日の東京交響楽団の定期演奏会だ(チラシ↑)。1曲目のベルクのヴァイオリン協奏曲では、竹澤恭子のヴァイオリンもさることながら、繊細に組み立てられたオーケストラのテクスチュアにヴァイオリン独奏も織り込まれ、ベルク独特の音楽が現出した。2曲目のブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」では、ゆったりした音楽の流れに豊かなニュアンスが施され、至高のブルックナーの音楽が鳴った。その演奏は白銀色に輝いていた。

 もうひとつ、想い出深い演奏をあげると、2003年3月29日のジョン・アダムズの「エル・ニーニョ」だ。エル・ニーニョとはいまでは海洋現象に使われる言葉だが、元は幼子イエスを意味するスペイン語だ。ジョン・アダムズのこの曲は、イエスの誕生をマリアの視点で描く物語だ。受胎告知の怖れ、出産の痛み、幼子イエスにそそぐ母性愛が描かれる。

 ピーター・セラーズの演出は、マリアをヒスパニック系の少女に設定した。マリアは父親のない子(=イエス)を産み、警官(=ヘロデ王)に追われて、現代のアメリカ西海岸をさまよう。たき火のそばにたたずむマリア。ヒッピー風の3人(=東方の三博士)が幼子を訪れる。ステージ後方に投影された映像が忘れられない。アメリカはもちろん、中東にも、日本にもいるかもしれない現代のマリアだ。秋山和慶が指揮する東京交響楽団の精緻な演奏がマリアに寄り添った。
コメント (2)
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藤岡幸夫/日本フィル(横浜定期)

2025年01月26日 | 音楽
 藤岡幸夫指揮日本フィルの横浜定期。1曲目は武満徹の組曲「波の盆」。1983年に日本テレビで放映されたドラマ「波の盆」のために武満徹が作曲した音楽を、後に武満徹自身が演奏会用組曲に編曲した。ノスタルジックなテーマが何度か回帰する。ハープとチェレスタとシンセサイザーがアクセントを添える。

 演奏はしみじみとした情感を漂わせた。以前、尾高忠明指揮N響が演奏したときは、あまりにも沈んだ情感に、わたしまで沈んだ気分になった記憶がある。今回の演奏ではその点はうまく回避していた。

 テレビドラマは倉本聡の脚本、実相寺昭雄の監督によるもの。その年の文化庁芸術大賞を受賞した。ストーリーはハワイの日系移民の第二次世界大戦中の苦難を回想するもの。わたしは未見だが、武満徹の音楽から何となく作品が想像される。

 2曲目はモーツァルトのフルート協奏曲第2番。フルート独奏はCocomi。Cocomiはもちろん芸名だ。若い日本人女性。ステージに登場したときから、スリムなスタイルに目を奪われた(容姿のことをいうのは、本来は憚られるが)。演奏は素直だ。アンコールにフォーレの「コンクール用小品」を演奏した(わたしはだれの何という曲か知らなかったが)。アンコールのほうが音色に艶があった。

 帰宅後、インターネットでCocomiを検索した。木村拓哉と工藤静香の娘さんだ。2001年生まれ。桐朋学園大学音楽学部カレッジ・ディプロマ・コースを修了。現在はフルート奏者として活動するとともにモデルとしても活動する――と。なるほどと納得する。

 3曲目はルグランの交響組曲「シェルブールの雨傘」。演奏時間約30分の大曲だ。例の甘く切ないテーマが何度も現れる。大オーケストラ以外に、エレクトリックギターとウッドベースとドラムスのコンボが加わる。トランペット、トロンボーン(ともにうまい!)、ピアノ、ヴァイオリンなどのソロが頻出する。ゴージャスなサウンドを楽しんだ。ルグランはポピュラー音楽で大成功したが、パリ音楽院出身だ。オーケストラを色彩豊かに鳴らす術を心得ている。最晩年にはチェロ協奏曲(山田和樹が日本フィルを振って、横坂源のチェロ独奏で演奏したことがある)とピアノ協奏曲を作曲した。

 「シェルブールの雨傘」は高校時代か大学時代に観たことがある。若い二人の甘い純愛物語だが、人生の苦みが加わる点がフランス映画の伝統を感じさせる。物語の背景には当時のアルジェリア戦争がある。アルジェリアがフランスと戦い、独立を勝ち取った。「シェルブールの雨傘」はその直後に制作された。
(2025.1.25.横浜みなとみらいホール)
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