Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

高関健/東京シティ・フィル

2025年03月09日 | 音楽
 東京シティ・フィルの定期演奏会。高関健の指揮でヴェルディの「レクイエム」。前日にカーチュン・ウォン指揮日本フィルでマーラーの交響曲第2番「復活」を聴いたばかりだ。2曲はともに「死」に向き合った作品だ。普通はヴェルディの「レクイエム」とマーラーの「復活」を比較することはないだろうが、連続して聴くと、どうしても比較する。前述のように、2曲は「死」というテーマで共通するが、音楽の性格はそうとう違う。その端的な表れは「最後の審判」を告げるラッパの音だろう。

 マーラーの「復活」の場合は、第5楽章の冒頭の激しい導入部が収まった後に、舞台裏からホルンの響きが聴こえる。遠い不思議な響きだ。墓の中に眠る死者たちは「あれは何だろう」と思う。やがてそれが最後の審判を告げるラッパの音だと気づく。墓の蓋が開き、死者たちは蘇る。

 一方、ヴェルディの「レクイエム」の場合は、第2曲「セクエンツィア(続唱)」の中の「トゥーバ・ミルム(驚くべきラッパが)」で最後の審判のラッパが鳴る。4本のトランペットが舞台上で(今回はオルガン席の前のPブロックで、オルガンをはさんで左右2本ずつに分かれて)高らかに吹奏する。死者たちはすぐに目覚めるだろう。今回の演奏では、そのトランペットの音が美しかった。

 今回オーケストラは終始一貫ヴェルディらしい音を鳴らした。明快で張りのある音だ。それは東京シティ・フィルの実力向上の表れだが、同時に、高関健とヴェルディとの相性の良さを感じた。高関健のストレートな音楽性は、意外にヴェルディに合うようだ。今まで高関健とヴェルディを結び付けて考えることはなかったので、新しい発見だ。

 独唱者4人は、それぞれ歌唱スタイルが異なっていたが、各人各様に頑張った。ソプラノの中江早希は声に伸びがあった。ヴェルディ特有のドラマティックな音楽の動きの上に中江早希の高音が大きな弧を描く。その美しさに説得力があった。一方、第7曲「リベラ・メ(私を解き放って下さい)」の冒頭部分はドラマ性が弱かった。

 アルトの加納悦子はさすがに彫りの深い歌唱だ。第2曲「セクエンツィア(続唱)」(「ディエス・イレ(怒りの日)」から「ラクリモサ(涙の日)」までの9曲からなる)の要所を引き締めた。テノールの笛田博昭は徹頭徹尾オペラ歌手だ。若手の有望株らしい。今後活躍するだろう。バリトンの青山貢はベテランらしく安定した歌唱だった。

 合唱の東京シティ・フィル・コーアにはもう一段の精度がほしい。少数精鋭ではなく、大人数だったからだろうか。
(2025.3.8.東京オペラシティ)

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