若手指揮者の下野竜也さんが、普段はめったに演奏されないドヴォルザークの交響曲第1番「ズロニツェの鐘」をプログラムに組んだ。オーケストラは読売日響。
(1)ウェーバー:歌劇「オイリアンテ」序曲
(2)ウェーバー:クラリネット協奏曲第1番(クラリネット:ザビーネ・マイヤー)
(3)ドヴォルザーク:交響曲第1番「ズロニツェの鐘」
ズロニツェとは、ドヴォルザークが少年の頃、肉屋の修行にでた町の名前とのこと。
「オイリアンテ」序曲は、どういうわけかオーケストラが飽和的なひびきで、なんだかよくわからないまま終わった。弦が16型(ヴァイオリンから順に16-14-12-10-8)の大編成だったせいかもしれないが、それだけではないと思う。
クラリネット協奏曲は、ザビーネ・マイヤーの名人芸に尽きる。とくに第1楽章の暗い不気味な音色は、ウェーバーの本質をついていて慄然とした。オーケストラは編成を12型(12-10-8-6-4)に縮小して、抜けのよい音を取り戻していた。第2楽章のホルン3人のハーモニーはクラリネットと溶け合っていて見事だった。
アンコールがあって、クラリネット独奏のための才気煥発の面白い曲。ストラヴィンスキーの「3つの小品」の中から3曲目とのことだった。
ドヴォルザークの交響曲第1番を生できくのははじめてで、今後再びきく機会があるかどうか――。第1楽章は、若い作曲家が最初の交響曲をかくときのヒロイックな高揚が感じられた。緩徐楽章の第2楽章では下野さんがニュアンス豊かな抑揚をつけていた。スケルツォ風の第3楽章は、後年の民族主義的作風の萌芽が感じられた。第4楽章は冗長気味だった。
この交響曲にまつわる秘話は興味深い。
若いドヴォルザークは、この交響曲をかいて、ドイツの作曲コンクールに送った。しかし入賞することはできず、スコアも返却されなかった。ドヴォルザークは紛失または破棄されたものと思っていた。ところが、ドヴォルザークと同名の人(ただし作曲家とは何の関係もない人)が、ある日ライプツィッヒの古本屋で偶然みつけて、自分と同じ名前なので買ったが、自宅に放置したままだった。その人の死後、息子がプラハ音楽院の教授に伝えて、調査の結果、ドヴォルザークの失われた交響曲であることが確認された。そのときすでにドヴォルザークは亡くなって19年ほど経っていた。
演奏会は、プログラムが地味なのか、空席が目立ち、私の両脇の席も空いていた。演奏中、私はふっと、隣にドヴォルザークその人がいるような気がした。私は空想の中で話しかけた。「はじめて実際の音を耳にされて、いかがですか。」
返事はこうだった。「いやあ、亡霊があらわれたようですなあ。」
――自分のほうが亡霊なのに(笑い)。
(2009.06.09.東京芸術劇場)
(1)ウェーバー:歌劇「オイリアンテ」序曲
(2)ウェーバー:クラリネット協奏曲第1番(クラリネット:ザビーネ・マイヤー)
(3)ドヴォルザーク:交響曲第1番「ズロニツェの鐘」
ズロニツェとは、ドヴォルザークが少年の頃、肉屋の修行にでた町の名前とのこと。
「オイリアンテ」序曲は、どういうわけかオーケストラが飽和的なひびきで、なんだかよくわからないまま終わった。弦が16型(ヴァイオリンから順に16-14-12-10-8)の大編成だったせいかもしれないが、それだけではないと思う。
クラリネット協奏曲は、ザビーネ・マイヤーの名人芸に尽きる。とくに第1楽章の暗い不気味な音色は、ウェーバーの本質をついていて慄然とした。オーケストラは編成を12型(12-10-8-6-4)に縮小して、抜けのよい音を取り戻していた。第2楽章のホルン3人のハーモニーはクラリネットと溶け合っていて見事だった。
アンコールがあって、クラリネット独奏のための才気煥発の面白い曲。ストラヴィンスキーの「3つの小品」の中から3曲目とのことだった。
ドヴォルザークの交響曲第1番を生できくのははじめてで、今後再びきく機会があるかどうか――。第1楽章は、若い作曲家が最初の交響曲をかくときのヒロイックな高揚が感じられた。緩徐楽章の第2楽章では下野さんがニュアンス豊かな抑揚をつけていた。スケルツォ風の第3楽章は、後年の民族主義的作風の萌芽が感じられた。第4楽章は冗長気味だった。
この交響曲にまつわる秘話は興味深い。
若いドヴォルザークは、この交響曲をかいて、ドイツの作曲コンクールに送った。しかし入賞することはできず、スコアも返却されなかった。ドヴォルザークは紛失または破棄されたものと思っていた。ところが、ドヴォルザークと同名の人(ただし作曲家とは何の関係もない人)が、ある日ライプツィッヒの古本屋で偶然みつけて、自分と同じ名前なので買ったが、自宅に放置したままだった。その人の死後、息子がプラハ音楽院の教授に伝えて、調査の結果、ドヴォルザークの失われた交響曲であることが確認された。そのときすでにドヴォルザークは亡くなって19年ほど経っていた。
演奏会は、プログラムが地味なのか、空席が目立ち、私の両脇の席も空いていた。演奏中、私はふっと、隣にドヴォルザークその人がいるような気がした。私は空想の中で話しかけた。「はじめて実際の音を耳にされて、いかがですか。」
返事はこうだった。「いやあ、亡霊があらわれたようですなあ。」
――自分のほうが亡霊なのに(笑い)。
(2009.06.09.東京芸術劇場)