Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

カンブルラン&読売日響

2010年07月15日 | 音楽
 読売日響の7月定期は常任指揮者カンブルランの指揮で次のプログラムが組まれた。
(1)フォーレ:付随音楽「ペレアスとメリザンド」
(2)メシアン:鳥たちの目覚め(ピアノ:児玉桃)
(3)ドビュッシー:ピアノと管弦楽のための幻想曲(ピアノ:児玉桃)
(4)デュティユー:5つの変遷(Cinq métaboles)

 このプログラムについて、カンブルランはインタビューで次のように語っている(読売日響のHPより)。

 「さて、今回のプログラムは些か奇妙に見えるかもしれません。フォーレ、ドビュッシー、メシアン、デュティユーですから。ちょっとリスクがあるプログラミングであることは判ってます。ですが、私は聴衆を信じています。このような何か違ったものに挑戦する準備は出来ていると思います。演奏を聴き終えたときには、絶対に来て良かったと感じられる筈ですよ。」

 これは嬉しくなる言葉だ。その心意気に応えたい聴衆も多いはずだ。不肖ながら私もその一人。

 1曲目のフォーレが始まると、弦の澄んだ音色が流れてきた。「ああ、そうだった、これがフォーレの音だった!」と思った。例のフルート・ソロの「シシリエンヌ」も透明な響きだった。
 2曲目のメシアンは、児玉桃のピアノが名演だった。私は2008年の「鳥のカタログ」をきいたが、そのときよりもさらに柔軟性が増していた。困難をきわめる譜面だろうが、それを感じさせない演奏だった。
 3曲目のドビュッシーでは、フォーレの音色とのちがいを感じた。ドビュッシーは暖色系の音色で、音にたいする陶酔があった。一方、フォーレは寒色系の音色で、職人技ののりを越えないところがあった。
 4曲目のデュティユーはシンフォニックな演奏だった。オーケストラが炸裂する最後の部分では、カンブルランの指揮が格好よかった!

 近代から現代にかけてのフランスの代表的な4人の作曲家を、このように並べてきいてみると、そのつながりやちがいが感じられて面白かった。前述したように、フォーレとドビュッシーのちがいが際立っていたが、メシアンはドビュッシーに近く、デュティユーはフォーレの遠縁のように感じられた。フランス音楽の網の目のもつれ具合が、透けて見えるようだった。

 音楽的にはメシアンが面白かった。夜中から正午までの鳥の鳴き声というプログラムがついているわけだが、それを忘れてきいていると、恐ろしいほどの前衛音楽にきこえた。
(2010.7.14.サントリーホール)
コメント
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