ポリーニが亡くなった。82歳だった。一時代を画したピアニストだった。多くの方がSNSで追悼の言葉をささげている。わたしはファンの多さに圧倒された。
わたしが初めてポリーニを聴いたのは1974年の初来日のときだ。会場は東京厚生年金会館だった。プログラムの中にシューベルトの「さすらい人」幻想曲とショパンの「24の前奏曲」があった(その他にもう1曲あったような気がする)。「さすらい人」幻想曲の音のやわらかさと「24の前奏曲」の息をのむような完璧さに鮮烈な印象を受けた。もしも神様がわたしに「いままで聴いた演奏会の中でひとつだけもう一度経験させてやる」といったら、あの演奏会を選ぶかもしれない。
わたしは当時大学生だった。ポリーニの名前を知ったのは、吉田秀和の著書でその名前を見かけたからだ。懐かしいので引用すると――
「もうひとつ書き添えておきたいのはポリーニというピアニストのこと。これは先日ラジオできいた。たしか今年のザルツブルク音楽祭での録音だったと思うが、アバドの指揮するヴィーン・フィルハーモニーの演奏会のプログラムの中に、ポリーニの独奏でバルトークの第二番協奏曲があり、その放送をきいたのだが、これが凄かった。(以下略)」(吉田秀和「ヨーロッパの響、ヨーロッパの姿」(新潮社、1972年)所収の「レコード・オペラ・オーケストラ」より)
吉田秀和はそのように紹介した。でも1974年の初来日当時、ポリーニはまだ知る人ぞ知る存在だった。チケット代も安かったのだろう。大学生のわたしも聴きに行った。そして興奮したのだ。
そのときのポリーニは天才肌の白面の青年といった感じだった。わたしはポリーニに夢中になり、ショパンの練習曲集やポロネーズ集などのレコードを買い求めた。数年後、ポリーニは再来日した。初来日のときとは打って変わって大評判になった。以後のことは、もういうまでもない。大スターになり、巨匠になった。だが、どういうわけか、わたしの関心は離れていった。もっとも、シェーンベルクのピアノ作品集など、レコード(後にCD)は少しずつ聴いていたが。
長い年月がたち、2017年にザルツブルク音楽祭を訪れたとき、ポリーニの演奏会があった。開演時間が遅かったので、オペラが終わってから聴きに行った。プログラムはショパンのピアノ・ソナタ第3番とドビュッシーの前奏曲集第2巻だった。どちらも立派に構築され、音もみずみずしかった。わたしの懸念に反して、ポリーニは健在だと思った。わたしはなぜかホッとした。
わたしが初めてポリーニを聴いたのは1974年の初来日のときだ。会場は東京厚生年金会館だった。プログラムの中にシューベルトの「さすらい人」幻想曲とショパンの「24の前奏曲」があった(その他にもう1曲あったような気がする)。「さすらい人」幻想曲の音のやわらかさと「24の前奏曲」の息をのむような完璧さに鮮烈な印象を受けた。もしも神様がわたしに「いままで聴いた演奏会の中でひとつだけもう一度経験させてやる」といったら、あの演奏会を選ぶかもしれない。
わたしは当時大学生だった。ポリーニの名前を知ったのは、吉田秀和の著書でその名前を見かけたからだ。懐かしいので引用すると――
「もうひとつ書き添えておきたいのはポリーニというピアニストのこと。これは先日ラジオできいた。たしか今年のザルツブルク音楽祭での録音だったと思うが、アバドの指揮するヴィーン・フィルハーモニーの演奏会のプログラムの中に、ポリーニの独奏でバルトークの第二番協奏曲があり、その放送をきいたのだが、これが凄かった。(以下略)」(吉田秀和「ヨーロッパの響、ヨーロッパの姿」(新潮社、1972年)所収の「レコード・オペラ・オーケストラ」より)
吉田秀和はそのように紹介した。でも1974年の初来日当時、ポリーニはまだ知る人ぞ知る存在だった。チケット代も安かったのだろう。大学生のわたしも聴きに行った。そして興奮したのだ。
そのときのポリーニは天才肌の白面の青年といった感じだった。わたしはポリーニに夢中になり、ショパンの練習曲集やポロネーズ集などのレコードを買い求めた。数年後、ポリーニは再来日した。初来日のときとは打って変わって大評判になった。以後のことは、もういうまでもない。大スターになり、巨匠になった。だが、どういうわけか、わたしの関心は離れていった。もっとも、シェーンベルクのピアノ作品集など、レコード(後にCD)は少しずつ聴いていたが。
長い年月がたち、2017年にザルツブルク音楽祭を訪れたとき、ポリーニの演奏会があった。開演時間が遅かったので、オペラが終わってから聴きに行った。プログラムはショパンのピアノ・ソナタ第3番とドビュッシーの前奏曲集第2巻だった。どちらも立派に構築され、音もみずみずしかった。わたしの懸念に反して、ポリーニは健在だと思った。わたしはなぜかホッとした。
1974年の初来日のときのもう1曲はシューベルトのソナタの第14番でしたか。すっかり忘れていました。ご教示ありがとうございます。それにしてもずいぶん地味な曲をやったんだなと感心しました。
私も貴ブログも読ませていただきました。相変わらず微に入り細に入る聴き方・書き方で圧倒されます。
私もなぜポリーニへの関心が薄れたのか、貴ブログに刺激されて考えてみたのですが、よくわかりません。深く考えるとおもしろそうなテーマですが……。
今頃になって、ポリーニはなぜペーザロでロッシーニの「湖上の美人」を指揮したのかも気になってきました。あのときはポリーニが指揮?と驚いたものです。