Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

日本管弦楽の名曲とその源流(11)

2011年01月19日 | 音楽
 都響の1月定期は恒例の「日本管弦楽の名曲とその源流」シリーズ。今年は指揮者にアメリカのヨナタン・シュトックハンマーを招いた。わたしは2007年5月にリヨン歌劇場できいたことがある。演目はシャリーノの「私を裏切った光」とツェムリンスキーの「フィレンツェの悲劇」のダブルビル。なかでもシャリーノは、ゲンダイオンガクそのものだが、それを難なく、楽しみながら、振っていたのに強い印象をうけた。

 開演前にプレトークがあった。作曲家の権代敦彦さんと田中カレンさん、司会は音楽評論家の片山杜秀さん。これが面白かった。並みの作品紹介ではなく、お互いの曲をどう思うかに踏み込んでいた。田中カレンさんは権代さんの作品について、一応の社交辞令の後、「心を撃つか」と突っ込まれて、「……」。会場からは苦笑がもれた。権代さんは田中さんの作品について、これまた社交辞令の後、「冷たいかな……」と。すぐに「それはお洒落ということですよ」と言い直したが。

 プログラム後半のお二人の作品。権代敦彦さんの「ゼロ―ピアノとオーケストラのための」は、演奏時間25分ほどの単一楽章のピアノ協奏曲(ピアノ:向井山朋子さん)。普通の意味での「流れ」はない。「流れ」を拒否したところから生まれる音楽。なぜそうしたのかと考えて、演奏者の肉体の解放のためではないかと思った。あえて安易な「流れ」に身をまかせることを阻み、抵抗物に立ち向かわせることで、根源的な肉体性を引き出そうとしたのではないか。

 田中カレンさんの「アーバン・プレイヤー―チェロとオーケストラのための」は、演奏時間20分ほどの3楽章からなるチェロ協奏曲(チェロ:古川展生さん)。これはこのままでも、たとえばネイチャー映像のBGMに使えそうな音楽。第3楽章の「悲しみや悲哀の淵から次第に希望へと向けて変化していく」(作曲者自身のプログラムノート)の部分では鐘が鳴る。これはいかにも予定された鐘の音に感じられた。

 もしどちらか、もう一度きかせてもらえるなら、わたしは権代さんのほうを選ぶ。

 前半の1曲目はプ―ランクの組曲「牝鹿」。この演奏には余裕のなさを感じた。アンサンブルを磨き上げる時間が足りなかったのか。

 次はダルバヴィの「ヤナーチェクの作品によるオーケストラ変奏曲」。ヤナーチェクのピアノ曲集「霧の中で」の第4曲にもとづく大編成のオーケストラ曲。絶えず流動し続ける音色と音型が美しい。「変奏曲」の内実が、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスのころとは大きく変わっている。
(2011.1.18.サントリーホール)
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