Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ローエングリン

2016年06月02日 | 音楽
 大変失礼な話で申し訳ないが、今回の「ローエングリン」は指揮者がリスクかもしれないと思った。というのも、昨年の「ラインの黄金」では飯守マエストロの指揮に精彩がなかったからだ。でも、結論からいうと、それは杞憂だった。今回は音楽が弛緩しなかった。

 一例を挙げると、第2幕冒頭のオルトルートとフリードリヒとの対話の場面(多くの方々と同じく、わたしも一番の聴きどころだと思う場面だが)、そこにうごめく暗い情念の音楽が、遅すぎず、緩みもせず、意味深長に演奏された。心底ホッとした。

 タイトルロールのフォークトは期待通りだ。第1幕の登場の場面は空中から舞い降りる演出になっているが、小舟を曳いてきた白鳥をねぎらう第一声が、驚くほど柔らかく聴こえた。舞台に降り立つフォークトを見て分かった。あの第一声は後ろ向きで歌っていたのだ。その声が舞台装置を反響版にして客席に届いていた。なるほどと思った。

 フォークトの軽くてピュアな声は、ワーグナー歌手の歴史を塗り替えるのではないかと思うほどだ。容姿にも恵まれている。高貴で、無垢で、少年のような純粋さが感じられる。

 2005年11月の「ホフマン物語」のタイトルロールを聴いた時は、当時まったく無名だったこの歌手の信じられないような軽い声に驚嘆した。「フォークトってだれ?」と思った。でも、まさかワーグナー歌手になるとは、夢にも思わなかった。

 フォークト以外の歌手もよかった。オルトルートのペトラ・ラングは、歌はもちろんだが、ローエングリンやエルザを見据える目の演技がきまっていた。フリードリヒのユルゲン・リンは、オルトルートに従属する男を巧みに演じていた。エルザのマヌエラ・ウールは、以前ベルリンで「ダナエの愛」のタイトルロールを聴いたことがある。特徴のある声は記憶通りだが、演技は今回の方が繊細だった。ハインリヒ王のアンドレアス・バウアーは立派な声の持ち主だ。

 合唱は物量作戦に走ったきらいがある。残念ながらいつものこの合唱団のレベルには届かなかったと思う。

 演出のシュテークマンは目新しいことは何もしていない。このプロダクションはロザリエの美術・光メディア造形・衣装を楽しむためのものだ。ロザリエの舞台はデュッセルドルフでラモーの「カストールとポリュックス」を観たことがある。抽象的かつ近未来的な舞台は同じだが、「ローエングリン」の方が洗練されている。
(2016.6.1.新国立劇場)
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