Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

B→C 伊藤美香ヴィオラ・リサイタル

2019年11月15日 | 音楽
 B→C(バッハからコンテンポラリーへ)のリサイタル・シリーズで、ヴィオラの伊藤美香(いとう・はるか)のリサイタルを聴いた。わたしは事情に疎いので、その名前は知らなかったが、日本人作品を主体にしたプログラムに惹かれたのと、もう一つ、ピアノ伴奏が新垣隆で、そのピアノを聴いてみたい気持ちもあった。

 1曲目は鈴木行一(1954‐2010)の「響唱の森」(2009)。初めて聴く曲だが、「ヴィオラとピアノの強打音を特徴とした鋭い音のぶつかり合いと、息の長い旋律が展開される部分の対照的な対話」(東川愛氏のプログラム・ノーツ)が繰り返される曲。その強打音が始まった途端に、ヴィオラの音がギーッと潰れたような音なので閉口した。

 2曲目はバッハのヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調BWV1015。早いパッセージで音が怪しくなるし、また、なぜこの曲を選んだのか(この曲で何をやりたいのか)、その目的意識が伝わってこない。一方、新垣隆のピアノ伴奏は音楽性豊かだった。率直にいって、ヴィオラよりもピアノの方がおもしろかった。

 3曲目はマルティヌー(1890‐1959)の「ヴィオラ・ソナタ」(1955)。演奏の荒っぽさは変わらないが、バッハに比べると、モチベーションの高さが感じられた。マルティヌーにしては一本調子な演奏だったが、それをいっても始まらない気がした。

 4曲目は西村朗(1953‐)の無伴奏ヴィオラ・ソナタ第3番「キメラ」(2017)。演奏者のヴィルトゥオジティを発揮させる曲で、伊藤美香はそれによく応えていた。プログラム前半の3曲に比べると、伊藤美香のやりたいことがはっきりしていて、わたしも曲に向き合うことができた。

 5曲目は眞鍋理一郎(1924‐2015)の「長安早春賦」(1987/2009)。わたしは眞鍋理一郎という名を知らなかったが、この作品は、長安とはいいながら、出来合いの情緒に流れずに、個性を感じさせた。元々はヴィオラと二十絃箏のための曲だそうで、そういわれてみると、ポツポツと動くピアノの音はその名残かもしれないと思った。

 最後は矢代秋雄(1929‐1976)の「ヴィオラとピアノのためのソナタ」(1949‐50)。矢代秋雄のフランス留学前の作品だ。「交響曲」、「チェロ協奏曲」、「ピアノ協奏曲」などの代表作は留学後の作品なので、留学前の作品が聴ける貴重な機会だった。本作は、留学前にもかかわらず、フランス近代の音が鳴った。矢代秋雄は留学前からこういう音を書いていたようだ。
(2019.11.12.東京オペラシティリサイタルホール)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする