Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

上原彩子のオール・シューマン・プログラム

2020年11月04日 | 音楽
 上原彩子のオール・シューマン・プログラムを聴きに行った。曲目は「パピヨン」、「クライスレリアーナ」、「謝肉祭」の3曲。上原彩子というとチャイコフスキーをはじめとするロシア物のイメージが強いが、そんな上原がシューマンをどう弾くかと興味がつのった。

 「パピヨン」はあまり印象に残らなかったが、それにしては、一夜明けたいま、その音像がはっきり思い出される。もしかすると昨日は、「さあ、聴くぞ」というわたしの意気込みと、シューマン最初期の(比較的あっさりした)この曲とのミスマッチが起きたのかもしれない。

 2曲目の「クライスレリアーナ」も(わたしには)空転した。音の粒立ちに欠け、ベタッとした音塊に聴こえた。もっとも、それは上原彩子にかぎらず、この曲の実演を聴くといつもそう感じるので、これは演奏の問題というよりも、わたしの問題かもしれない。正直いうと、わたしはこの曲がホロヴィッツの演奏で刷り込まれているので、その印象から逃れられないのかも‥と思う(愚かな聴き手というしかないが)。わたしの憶測だが、ホロヴィッツのあの演奏はレコード制作の過程でお化粧が施されているかもしれず、それを考慮に入れないで聴いていたわたしのナイーヴさの報いかもしれない。

 そんな個人的な事情はさておき、上原彩子の演奏は真摯そのものだったと思う。先ほど「ベタッとした音塊」と書いたが、その表現からくるネガティブな語感はわたしの責任にほかならず、上原彩子の演奏の真実は、シューマンの書いた音の絡み合いから、抑えようもなく外に吹きだそうとする情熱の高まりを表現したものかもしれない。とくに第7曲「非常に速く」はその速度表示どおりの猛烈な速さで弾かれ、わたしは瞠目した。

 3曲目の「謝肉祭」は文句なしの名演に聴こえた。リズムに弾みがあり、ハーモニーに透明感があった。みずみずしい感性が行きわたっていた。「クライスレリアーナ」よりも外向的で演奏効果のあがる曲だが、曲のそのような性格に加えて、上原彩子の演奏の完成度の高さが際立った。最後の第20曲「ペリシテ人と戦うダヴィッド同盟の行進」の勢いには息をのんだ。

 アンコールにシューマンの「献呈」(リスト編曲)と「トロイメライ」が弾かれた。「献呈」はわたしの最愛の曲だが、リスト編曲のこの版は、あまりにもリスト色が出すぎて好きになれない。一方、「トロイメライ」は微妙な緩急の綾からシューマンの(そして上原彩子の)やさしさが立ち昇るような演奏だった。

 当コンサートは休日午後の気楽なコンサートだったが、上原彩子の演奏には手抜きがなく、演奏家としての真摯さが感じられた。
(2020.11.3.ミューザ川崎)
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