Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

藤倉大「アルマゲドンの夢」

2020年11月16日 | 音楽
 藤倉大の新作オペラ「アルマゲドンの夢」。現代社会の問題(当オペラの場合はポピュリズムの政治家とその政党の台頭)をテーマにするオペラが東京で初めて誕生したという思いが強い。細川俊夫が東日本大震災をテーマにしたオペラ(そのテーマは原発事故ではなく、津波のほうかもしれないが、わたしは未見)をドイツで新作上演したが、日本発という意味では初めてのケースではないだろうか。

 原作はH.G.ウェルズの「世界最終戦争の夢」(原題はA Dream of Armageddon)。それを藤倉大の長年の友人のハリー・ロスが台本化した。藤倉大が「オペラとは原作の翻案なのであって、原作をそのまま舞台化することに僕は興味はありません。それなら本を読めばよいのですから。」と語っているように(プログラムに掲載された「オペラ『アルマゲドンの夢』、無限の可能性を信じて」より)、大胆な脚色が施されている。

 H.G.ウェルズの同作は1901年の作品でありながら、第一次世界大戦および第二次世界大戦の大規模爆撃や、それこそヒトラーの登場を予言しているような作品だが、あえていえば、それらはすでに起こったことだ。では、現時点では同作になにを読むか。ハリー・ロスが読んだのはポピュリズムの台頭だ。その危険性を台本にこめた。芸術作品が現実世界を先取りする例があることは、たとえば岡田暁生の新著「音楽の危機」の第2章でも述べられているが、当オペラがその一例にならないとはかぎらない。

 藤倉大の音楽はいつものように、ソリッドで、シャープで、ガラスのように繊細だ。しかもオペラというジャンルの大衆性を反映してか、平易で娯楽性に富む。約1時間40分の長丁場を飽きさせない。とはいえ(これがオペラ好きの悪い癖だと、自分でも思うが)あえて注文を付けるなら、冷笑者がヒロインのベラに絡む場面で、わたしは冗長さを感じた。ここは心理的に複雑な駆け引きがおこなわれる場面のようだから、わたしがその駆け引きを追えなかったせいかもしれないが。

 ベラは大野和士によれば「ドラマの中心人物となる」(同上)のだが、オペラ全体を通して徹底的に描かれるのは、ベラの恋人のクーパーだ。クーパーは状況にたいして逃避的で無気力だ。一方、ベラは状況の悪化を食い止めようとする。それはベラの出自に深く関係していることが徐々に明らかになる。そんなベラのヒロイズムにたいして、クーパーはいかにも情けない。そこにわたしたち観客は自己を投影する。

 演出のリディア・シュタイアー以下の制作チームは、巨大な鏡と映像とカラフルな色彩を使って、目も覚めるような斬新な舞台をつくった。コロナ禍で弱りきった現代にあって、その舞台は信じられないような体験だった。
(2020.11.15.新国立劇場)
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