Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

下野竜也/読響

2022年01月21日 | 音楽
 ローター・ツァグロゼクが振る予定だった読響の1月定期は、指揮者が下野竜也に代わり、プログラムはそのまま引き継がれた。そのプログラムがもとから下野竜也のために組まれたようなプログラムだった。

 1曲目はメシアンの「われら死者の復活を待ち望む」。フルート3、ピッコロ2、Esクラリネット、クラリネット3……といった具合に、大編成の木管楽器と金管楽器、そして金属系の打楽器による曲だ。特殊編成かと思ったが、舞台上の演奏風景を見ると、むしろ吹奏楽の幾分シンプルな編成のように思えてきた。

 音楽はメシアンの、いかにも手慣れた書法のようだ。江藤光紀氏のプログラム・ノーツによれば、この曲は「第二次世界大戦の終結20周年をうけ、その死者たちを悼むために、フランス文化相アンドレ・マルローの委嘱を受けて1964年に作曲された」。そのような作曲経緯を反映してか、比較的わかりやすい曲だ。

 演奏はよかったと思う。第1楽章の終わりなどに音の濁りを感じたが、それは不協和音の軋みだったかもしれない。金属打楽器のゴングにガムラン音楽のような響きを感じ、銅鑼には雲が湧き立つような音像を感じた。どちらもメシアンの狙い通りだろう。

 2曲目はブルックナーの交響曲第5番(ハース版)。読響の聴衆にはあらためていうまでもないが、下野竜也が読響の正指揮者として最後に振った定期(2013年2月)の曲だ。それから9年たった。下野竜也がどう変わったか。あるいは変わらなかったか。読響との呼吸はどう変化したか。そのような興味がつのる。

 結論からいうと、下野竜也は変わったと思う。2013年2月の演奏は、もっと剛直で、あえていえば朝比奈隆をしのばせる強面のところがあった。それがもっと柔らかく、肩の力が抜け、悠然と音楽を流すようになった。

 たとえばヴィオラとチェロで奏される第1楽章第1主題は、豊かな起伏がつけられていた。その起伏のラインが明瞭で、かつ第1楽章全体の流れの中で楽に呼吸していた。第2楽章はわたしの体感ではテンポが遅めだったが、少しももたれなかった。第3楽章は下野竜也らしいエッジのきいた音が聴けた。第4楽章はこの演奏の白眉だった。じっくり音楽の流れを追い、音楽の熟成をまつ演奏だった。その結果のコーダの輝かしさは圧倒的だった。そのコーダはもちろんだが、コーダに至るまでのペース配分と、第1楽章からの長い道のりを持ちこたえた緊張感の持続とは、下野竜也の成長を感じさせた。終演後は下野竜也のソロ・カーテンコールがあった。みんな下野竜也と読響の名コンビを喜んでいるようだった。
(2022.1.20.サントリーホール)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする