Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

漱石山房記念館「漱石からの手紙」展

2022年03月23日 | 読書
 早稲田の夏目漱石の住居跡に漱石山房記念館がたっている。2017年に漱石生誕150年を記念して新宿区が整備したものだ。同館で「漱石からの手紙」展が開かれている。同館を覗きがてら、行ってみた。

 同館は地下鉄東西線「早稲田」駅から徒歩5分ほどだ。もっとも、わたしは道を間違えたので、少し時間がかかった。やっと着くと、新しくて立派な建物がたっていた。中に入る前に裏側の公園にまわってみた。猫の墓があるはずだ。すぐに見つかった。高さ1メートルくらいの石塔がたっていた。説明文を読むと、元の墓は空襲で焼けたらしい。いまの墓(石塔)は戦後再建されたものだ。例の猫をはじめ、漱石が飼っていたほかの動物たちも合祀されている。

 話が脱線するが、漱石の随筆集「硝子戸の中」にはヘクトーという犬が出てくる。その犬が死んだとき、漱石は死骸を庭に埋めて、「秋風の聞えぬ土に埋めてやりぬ」という一句を書いた墓標をたてた。「硝子戸の中」には「彼の墓は猫の墓から東北に当って、ほぼ一間ばかり離れているが、私の書斎の、寒い日の照らない北側の縁に出て、硝子戸のうちから、霜に荒らされた裏庭を覗くと、二つとも能く見える」とある(新潮文庫より引用)。

 話を元に戻して、館内に入って展示を見た。手紙の一通一通を丁寧に見たほうがよいのだろうが、何通かを読んだだけで、雑にすました。それだけでも、漱石の交友の広さと深さが実感された。その交友関係の厚さは、漱石の天分というと大袈裟かもしれないが、漱石の本質の一面を表すように思えた。

 上記の「硝子戸の中」は39編の随筆からなるが、どの随筆も当地(漱石の家)を訪れた人たち、または漱石自身、もしくは肉親の話だ。言い換えれば、花鳥風月の話ではない。漱石の興味は徹底して人間にあった。その表れが膨大な量の手紙ではないだろうか。

 上掲のチラシ(↑)に使われている写真は1914年12月に撮られたものだ。ちょうど「硝子戸の中」の執筆当時のものだ。案外穏やかな表情をしている。じつはわたしは「硝子戸の中」の直後に書かれた「道草」の印象から、漱石は気難しい人だったのではないかと思っていた。でも、本展を見ているうちに、漱石は人懐こい人だったかもしれないと思えてきた。だからこそ、あれだけ人間への洞察に満ちた作品を書けたのではないか。

 さて、同館を出て、早稲田駅に戻った。もう土地勘はできていた。駅にむかう道すがら、「硝子戸の中」に出てくる「ある女」のエピソードを思い出した。深夜に漱石が「ある女」を送っていった道はこのへんだったろうか、と。
(2022.3.12.漱石山房記念館)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする