エゴン・シーレ展が開幕した。ウィーンのレオポルド美術館の所蔵作品を中心に構成したもの。レオポルド美術館はシーレのコレクションでは世界のトップクラスだ。何度か行ったことがあるが、初めて行ったときには圧倒された。
チラシ(↑)に使われている「ほおずきの実のある自画像」もレオポルド美術館の所蔵作品だ。シーレの代表作のひとつとされている。画像でもわかると思うが、顔に無数の赤や青の斑点がある。一瞬、死相と思ってしまうが、それはシーレを過度にロマンティックにみているからだろう。同時期の水彩画「闘士」にも無数の赤や青の斑点があり、それらは全身の痣のように見えるが、たぶんそうではなくて、表現主義の作風のためだろう。「ほおずきの実のある自画像」も同様だ。
またこれも画像でわかると思うが、上着に無数の筋が見える。それは服の皺というよりも、むしろ水の流れのように見える。たぶん油絵具が乾く前に絵筆の柄で筋をつけているのだろう。シーレの他の作品でも見られる技法だ。
作品全体からは強い自意識が感じられる。シーレが本作品を描いたのは1912年。シーレが22歳の年だ。シーレの才能が爆発的に開花した時期であり、また前年には恋人と同棲生活に入った時期でもある。シーレには自信がみなぎっていた。その時期を青春と呼んでいいなら、青春に特有の自意識が感じられ、それがわたしの心の疼きに触れるのだろう。
シーレの作品の大半は人物画であり、またその多くは裸体画だが、一方で、数は少ないが風景画も描いている。人物画、とくに裸体画はシーレと対象(多くの場合は自分または恋人)とが息苦しいほど密着しているが(それが魅力なのだが)、風景画ではシーレと対象(風景)とのあいだに距離があり、それが安心して見ていられる要因になる。
本展に展示された風景画の中では「モルダウ河畔のクルマウ(小さな街Ⅳ)」に惹かれた(本展のHP↓に画像が載っている)。クルマウとはシーレの母親の郷里で、いまのチェスキー・クルムロフのことだ(世界遺産に登録されている)。その街を俯瞰的にとらえた作品だ。家々の折り重なる構図に工夫が凝らされ、またカラフルな色使いがメルヘンチックだ(その色使いは「啓示」に似ている)。
シーレは1918年に28歳で亡くなった。スペイン風邪にかかったためだ。シーレは1915年に結婚したが(前記の恋人とは別人だ)、妻とその胎内に宿った子どもも、シーレが亡くなる3日前にスペイン風邪で亡くなった。またその数か月前にはシーレの才能を認めたクリムトもスペイン風邪で亡くなった。本展はパンデミックのいま観るにふさわしい。
(2023.1.31.東京都美術館)
(※)本展のHP
チラシ(↑)に使われている「ほおずきの実のある自画像」もレオポルド美術館の所蔵作品だ。シーレの代表作のひとつとされている。画像でもわかると思うが、顔に無数の赤や青の斑点がある。一瞬、死相と思ってしまうが、それはシーレを過度にロマンティックにみているからだろう。同時期の水彩画「闘士」にも無数の赤や青の斑点があり、それらは全身の痣のように見えるが、たぶんそうではなくて、表現主義の作風のためだろう。「ほおずきの実のある自画像」も同様だ。
またこれも画像でわかると思うが、上着に無数の筋が見える。それは服の皺というよりも、むしろ水の流れのように見える。たぶん油絵具が乾く前に絵筆の柄で筋をつけているのだろう。シーレの他の作品でも見られる技法だ。
作品全体からは強い自意識が感じられる。シーレが本作品を描いたのは1912年。シーレが22歳の年だ。シーレの才能が爆発的に開花した時期であり、また前年には恋人と同棲生活に入った時期でもある。シーレには自信がみなぎっていた。その時期を青春と呼んでいいなら、青春に特有の自意識が感じられ、それがわたしの心の疼きに触れるのだろう。
シーレの作品の大半は人物画であり、またその多くは裸体画だが、一方で、数は少ないが風景画も描いている。人物画、とくに裸体画はシーレと対象(多くの場合は自分または恋人)とが息苦しいほど密着しているが(それが魅力なのだが)、風景画ではシーレと対象(風景)とのあいだに距離があり、それが安心して見ていられる要因になる。
本展に展示された風景画の中では「モルダウ河畔のクルマウ(小さな街Ⅳ)」に惹かれた(本展のHP↓に画像が載っている)。クルマウとはシーレの母親の郷里で、いまのチェスキー・クルムロフのことだ(世界遺産に登録されている)。その街を俯瞰的にとらえた作品だ。家々の折り重なる構図に工夫が凝らされ、またカラフルな色使いがメルヘンチックだ(その色使いは「啓示」に似ている)。
シーレは1918年に28歳で亡くなった。スペイン風邪にかかったためだ。シーレは1915年に結婚したが(前記の恋人とは別人だ)、妻とその胎内に宿った子どもも、シーレが亡くなる3日前にスペイン風邪で亡くなった。またその数か月前にはシーレの才能を認めたクリムトもスペイン風邪で亡くなった。本展はパンデミックのいま観るにふさわしい。
(2023.1.31.東京都美術館)
(※)本展のHP