飯守泰次郎さんが8月15日に亡くなった。前日には普通に夕食をとり、いつもの時間に就寝したそうだ。翌朝7時16分に急性心不全で亡くなった。良い亡くなり方だ。享年82歳。ご冥福を祈る。
わたしは中学生時代にクラシック音楽を聴き始めたので、かれこれ50年以上クラシック音楽を聴いているが、その中でほんとうに好きになった指揮者が二人いる。それは晩年の山田一雄と晩年の飯守泰次郎だ。晩年という言い方はあいまいなので、具体的にいうと、新星日本交響楽団(その後、東京フィルと合併)の常任指揮者時代の山田一雄と、東京シティ・フィルの常任指揮者時代の飯守泰次郎だ。
二人ともそれが最後のポストだったわけではないが、長いキャリアの中で終盤だったことは間違いなく、そのころになると、若いころのがむしゃらさを脱し、しかも体力・気力ともに衰えずに、ほんとうに神々しいまでの演奏をした。
飯守泰次郎でいえば、東京シティ・フィルとのプログラムでは、毎シーズン、テーマ作曲家を設定し、その作曲家の作品を集中的に演奏した。そのようにして聴いた中で、とくに感銘深かったのは、ブルックナー、ベートーヴェン(マルケヴィチ版)、そして意外に思われるかもしれないがチャイコフスキーだった。
飯守さんのブルックナーはだれもが称賛するので、多言を要しないだろうが、一言だけ想い出を書けば、飯守さんはプレトークで「地味だけれども、第6番が好きだ」と話したことがある。「もちろん第7番以降は崇高な音楽だけれども、だれもが褒める曲とは別に、個人的には好きという曲があり、それが第6番です」と。ベートーヴェンは、ベーレンライター版でもやったが、マルケヴィチ版のときになると、余計なものを削ぎ落して、本質のみを語るような輝きがあった。チャイコフスキーは常任指揮者時代の最後のチクルスになった。ドイツ音楽のイメージが強い飯守さんがチャイコフスキーを選び、共感をこめて演奏したことに、日本人の西洋音楽への適性を考えた。
ワーグナーは東京シティ・フィルでも新国立劇場でも聴いたが、数ある作品の中でも飯守さんに一番合っていたのは「パルジファル」だと思う。わたしは2005年11月の東京シティ・フィルとの演奏、2012年5月の東京二期会での演奏(オーケストラは読響)、2014年10月の新国立劇場での演奏(オーケストラは東京フィル)を聴いた。どれも良かった。どんどん良くなるというのではなく、最初から良かった。飯守さんの体質に合うのだろう。
ネット上では飯守さんの逝去を悼む声があふれている。楽員からも聴衆からも愛されていたといまさらながら思う。
わたしは中学生時代にクラシック音楽を聴き始めたので、かれこれ50年以上クラシック音楽を聴いているが、その中でほんとうに好きになった指揮者が二人いる。それは晩年の山田一雄と晩年の飯守泰次郎だ。晩年という言い方はあいまいなので、具体的にいうと、新星日本交響楽団(その後、東京フィルと合併)の常任指揮者時代の山田一雄と、東京シティ・フィルの常任指揮者時代の飯守泰次郎だ。
二人ともそれが最後のポストだったわけではないが、長いキャリアの中で終盤だったことは間違いなく、そのころになると、若いころのがむしゃらさを脱し、しかも体力・気力ともに衰えずに、ほんとうに神々しいまでの演奏をした。
飯守泰次郎でいえば、東京シティ・フィルとのプログラムでは、毎シーズン、テーマ作曲家を設定し、その作曲家の作品を集中的に演奏した。そのようにして聴いた中で、とくに感銘深かったのは、ブルックナー、ベートーヴェン(マルケヴィチ版)、そして意外に思われるかもしれないがチャイコフスキーだった。
飯守さんのブルックナーはだれもが称賛するので、多言を要しないだろうが、一言だけ想い出を書けば、飯守さんはプレトークで「地味だけれども、第6番が好きだ」と話したことがある。「もちろん第7番以降は崇高な音楽だけれども、だれもが褒める曲とは別に、個人的には好きという曲があり、それが第6番です」と。ベートーヴェンは、ベーレンライター版でもやったが、マルケヴィチ版のときになると、余計なものを削ぎ落して、本質のみを語るような輝きがあった。チャイコフスキーは常任指揮者時代の最後のチクルスになった。ドイツ音楽のイメージが強い飯守さんがチャイコフスキーを選び、共感をこめて演奏したことに、日本人の西洋音楽への適性を考えた。
ワーグナーは東京シティ・フィルでも新国立劇場でも聴いたが、数ある作品の中でも飯守さんに一番合っていたのは「パルジファル」だと思う。わたしは2005年11月の東京シティ・フィルとの演奏、2012年5月の東京二期会での演奏(オーケストラは読響)、2014年10月の新国立劇場での演奏(オーケストラは東京フィル)を聴いた。どれも良かった。どんどん良くなるというのではなく、最初から良かった。飯守さんの体質に合うのだろう。
ネット上では飯守さんの逝去を悼む声があふれている。楽員からも聴衆からも愛されていたといまさらながら思う。