ポペルカがN響に初登場した。1曲目はツェムリンスキーの「シンフォニエッタ」。ツェムリンスキーの作品は好きなのだが、「シンフォニエッタ」は勝手が違った。「抒情交響曲」や「人魚姫」や「フィレンツェの悲劇」にくらべると、リズムが鋭角的で、和声が明るくてモダンだ。わたしは曲に入り込めなかったが、演奏は明快だった。
2曲目はリヒャルト・シュトラウスのホルン協奏曲第1番。シュトラウスがまだ10代の若書きだ。人気作ではあるが、わたしは第2番の方がシュトラウスらしくて好きだ。ホルン独奏はバボラーク。相変わらずの名手だ。髪が白くなった。アンコールがあった。甘いメロディーの曲だ。帰りがけにロビーの掲示を見たら、ピアソラの「タンゴ・エチュードNO.4 Meditativo」とあった。
プログラム後半は、3曲目がドヴォルザークの交響詩「のばと」。冒頭のチェロとコントラバスの付点のリズムが明瞭に聴こえる。少しも引きずらない。ポペルカはコントラバス奏者だったからか(ドレスデン国立歌劇場の副首席奏者だった)、とくにコントラバスのリズムが粒だっていた。そのリズムに乗って流れる第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの弱々しい音が、わたしをこの曲の世界に引き込んだ。
中間部のボヘミア的な舞曲は、むしろ薄めの音で演奏された。楽しい舞曲ではあるが、曲の背景にある悲劇を忘れさせない。物語の転換点に当たるヴァイオリン・ソロの音が美しかった(本年4月から第1コンサートマスターに就任する長原幸太の演奏)。曲の最後は余韻を残して終わった。
「のばと」は比較的演奏機会の多い曲だが、ポペルカ指揮N響のこの演奏は、曲の核心をついた演奏だったのではないだろうか。悲劇ではあるが、悲劇一色に塗りつぶさずに、明暗のコントラストを細かくつけて、ニュアンス豊かな絶妙の演奏だった。
4曲目はヤナーチェクの「シンフォニエッタ」。何度も聴いた曲で、N響では2019年にフルシャの指揮で聴いたばかりだが、そのときとくらべても、今回の演奏は感銘深かった。音の純度の高さは、もしかするとフルシャの方が上だったかもしれないが、今回は音に温もりがあった。中欧的な温もりと、ヤナーチェク独特の澄んだ音にわたしは共感した。最後の第5楽章で金管のバンダが戻ってくるところでは、思わず身震いした。
この曲を書いたころのヤナーチェクは、妻のズデンカをほったらかして、カミラに夢中になっていた。身勝手で愚かな男だった。だが、そんな男だったから、光り輝くようなこの曲を書けたのだろうか。だとしたら、芸術とは何だろう。
(2025.2.9.NHKホール)
2曲目はリヒャルト・シュトラウスのホルン協奏曲第1番。シュトラウスがまだ10代の若書きだ。人気作ではあるが、わたしは第2番の方がシュトラウスらしくて好きだ。ホルン独奏はバボラーク。相変わらずの名手だ。髪が白くなった。アンコールがあった。甘いメロディーの曲だ。帰りがけにロビーの掲示を見たら、ピアソラの「タンゴ・エチュードNO.4 Meditativo」とあった。
プログラム後半は、3曲目がドヴォルザークの交響詩「のばと」。冒頭のチェロとコントラバスの付点のリズムが明瞭に聴こえる。少しも引きずらない。ポペルカはコントラバス奏者だったからか(ドレスデン国立歌劇場の副首席奏者だった)、とくにコントラバスのリズムが粒だっていた。そのリズムに乗って流れる第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの弱々しい音が、わたしをこの曲の世界に引き込んだ。
中間部のボヘミア的な舞曲は、むしろ薄めの音で演奏された。楽しい舞曲ではあるが、曲の背景にある悲劇を忘れさせない。物語の転換点に当たるヴァイオリン・ソロの音が美しかった(本年4月から第1コンサートマスターに就任する長原幸太の演奏)。曲の最後は余韻を残して終わった。
「のばと」は比較的演奏機会の多い曲だが、ポペルカ指揮N響のこの演奏は、曲の核心をついた演奏だったのではないだろうか。悲劇ではあるが、悲劇一色に塗りつぶさずに、明暗のコントラストを細かくつけて、ニュアンス豊かな絶妙の演奏だった。
4曲目はヤナーチェクの「シンフォニエッタ」。何度も聴いた曲で、N響では2019年にフルシャの指揮で聴いたばかりだが、そのときとくらべても、今回の演奏は感銘深かった。音の純度の高さは、もしかするとフルシャの方が上だったかもしれないが、今回は音に温もりがあった。中欧的な温もりと、ヤナーチェク独特の澄んだ音にわたしは共感した。最後の第5楽章で金管のバンダが戻ってくるところでは、思わず身震いした。
この曲を書いたころのヤナーチェクは、妻のズデンカをほったらかして、カミラに夢中になっていた。身勝手で愚かな男だった。だが、そんな男だったから、光り輝くようなこの曲を書けたのだろうか。だとしたら、芸術とは何だろう。
(2025.2.9.NHKホール)