Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

フルシャ/都響

2024年07月06日 | 音楽
 7年ぶりにフルシャが振った都響の定期演奏会。Bシリーズのプログラムはブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番(ヴァイオリン独奏は五明佳廉(ごみょう・かれん))とブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」(1878/80年稿コーストヴェット版)。

 五明佳廉を聴くのは初めてだ。張りのある強い音が出る。オーケストラを向こうにまわしてバリバリ弾く。プロフィールを見ると、ジュリアード音楽院でドロシー・ディレイに学んだとある。いかにもディレイ門下の演奏だ。競争の激しい世界の音楽業界で生き残る才能と個性の持ち主だろう。

 フルシャ指揮都響のバックも良かった。都響の首席客演指揮者時代の演奏を思い出した(後述するが、フルシャが首席客演指揮者だった時期には、わたしも定期会員だった)。第1楽章の中間部での激情的な箇所での、テンポを巻き上げる表現の凄みは、フルシャがこの7年で蓄えた成長の跡を感じさせた。

 五明佳廉のアンコールがあった。ピアソラのタンゴ・エチュード第3番だった。シャープで切れ味の良い演奏だ。タンゴの(あるいはピアソラの)場末の盛り場の哀愁などはなく、都会的な明るく清潔な演奏だった。

 ブルックナーの交響曲第4番は、オーケストラが見事に構築された演奏だったが、第1楽章ではそれに感心し、しかし第2楽章では「フルシャは首席客演指揮者時代にブルックナーを演奏したことがあったろうか」と、余計なことを考え始めた。前述したように、わたしが都響の定期会員だったときに(若杉弘の時代からだ)、フルシャが登場した。フルシャの演奏でとくに覚えているのはマルティヌーの一連の交響曲で、その他にストラヴィンスキーの「春の祭典」とか退任演奏会でのブラームスの交響曲第1番とかはとくに鮮明な記憶になって残っているが、ブルックナーの記憶はないからだ。

 そんな余計なことを考えたのは、第2楽章の演奏から気持ちが離れたからだろう。なぜだろう?と訝るうちに、第3楽章が始まった。快適なテンポで、ホルンを始めとするオーケストラの音に生気が戻ったように感じた。わたしは再び演奏に集中した。

 驚くべきは第4楽章の演奏だ。冒頭の第1主題の提示部が、今までに聴いたことがないほどに彫りが深く、濃やかな陰影をつけて演奏された。また第3主題の提示部は、剛直なオーケストラの音が急峻な山のようにそそり立つ演奏だった。以降、終結部まで雄弁な演奏が展開し、わたしはその流れに乗った。わたしには今までフルシャ=オペラ指揮者というイメージはなかったが、たしかにオペラ指揮者なのかもしれない。
(2024.7.5.サントリーホール)
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