平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

デトロイト・メタル・シティ

2008年05月18日 | コミック・アニメ・特撮
 人は様々な顔を持って生きている。

 夫の顔、父親の顔、会社員の顔。会社員の顔では部下に対するものと上司に対するものが違うかもしれない。

 「デトロイト・メタル・シティ」の主人公・根岸崇一もそう。
 普段は平和なギター好きな好青年だが、もうひとつの顔は悪魔系デスメタルバンド デトロイト・メタル・シティのヴォーカル、クラウザーⅡ世様。
 その歌詞内容は過激。
 CDの帯のセールス文句は「オレは音楽に感謝している。ミュージシャンになっていなかったら猟奇殺人者になっていただろうから」
 楽曲名は「SATUGAI」
 でも崇一が本当にやりたい音楽は「ラズベリー・キッス」という曲タイトルの音楽。
 でも、そんな音楽はつまらない、売れないと事務所社長に書き換えられてしまう。
 そのタイトルは「ラズベリー・ファック」!!

 この作品は様々な顔を持って生きなければならない現代人のつらさをうまくデフォルメして作品にしている。
 例えば会社の仕事で意に添わないこともしなければならないこともある。
 それは崇一が自分の本当にやりたい音楽をやれないのと同じだ。

 デトロイト・メタル・シティの曲が売れて、自分のやりたい曲が売れないのも皮肉だ。
 人間は社会的動物だから、人に認められることを欲する。
 お金を得るためにも認められなくてはならない。
 崇一の場合はクラウザーⅡ世の自分が認められ、素の根岸崇一はただの平凡な男。
 社会(事務所)のしがらみやお金のために『クラウザーⅡ世』を演じなければならない。
 また時としてクラウザーⅡ世を演じることが快感になる。
 クラウザーⅡ世が本当の自分ではないかと思えてくる。

 この作品はこうした『引き裂かれた自己』をうまくギャグにした作品。
 作品は時代を表現する。
 作品は時代の隠喩なのだ。


コメント
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