原題バベルとは『旧約聖書』の「創世記第11章」にある町の名。町の人々は天まで届くバベルの塔を建てようとしたが神はそれを快く思わず、人々に別々の言葉を話させるようにした。その結果人々は統制がとれずばらばらになり、全世界に散っていった。(Wikipediaより)
このバベルのエピソードをモチーフにして3つのドラマが展開される。
この作品を考えるにあたり、まずとらえるべきは『人間はバベルの塔の残骸』だということ。
モロッコのアーメッドとユシフ、アメリカ人夫婦のリチャードとスーザン、ベビーシッターのメキシコ人・アメリア、聴覚に障害を持った女子高生のチエコ、彼らは『バベルの塔の残骸』『バベルの塔を組み上げていた石』。
かつてはひとつにまとまっていたものが、神によってバラバラにされて今はそれぞれ孤独に生きている。
その象徴が日本の少女チエコ。
彼女は都会を彷徨うが少しも孤独が癒されることがない。
ハダカになって愛を求めるが拒絶される。
ディスコミュニケーションもバラバラになった人間の姿。
言語の違いによるディスコミュニケーション。
銃による悪戯が世界を揺るがすテロ事件になってしまうディスコミュニケーション。
ベビーシッターで面倒をみている子供たちを結婚式に連れて行っただけなのに誘拐と間違えられるディスコミュニケーション。
人間は簡単なことも意思疎通することが出来ず争いを起こしている。
人間の孤独。
一方、人間にはバベルの塔としてひとつのまとまっていた痕跡がある。
これがこの作品のもうひとつのテーマ。
3つの事件は偶然を含めた因果関係で繋がっている。
妻が自殺した銃を綿谷はモロッコ人に銃をプレゼントする→その銃がまわりまわってアメリカ人旅行者スーザンの狙撃事件に→その狙撃事件のためにベビーシッターはスーザンたちの子供をメキシコの結婚式に連れて行くことに。
バラバラに見えて人間は見えない糸で繋がっているのだ。
ひとつにまとまっていた痕跡は他にもある。
アーメッドとユシフと父親の親子の絆、リチャードとスーザンの夫婦の絆、ベビーシッター・アメリアが息子の結婚式に参加したいと切望する親子の絆。
それらはすぐに切れてしまいそうな弱いものながら、実は繋がっている。
バベルの塔としてひとつにまとまっていた昔を忘れていない様。
ラストシーン。
女子高生のチエコは父親と抱き合う。
孤独で都会を彷徨った彼女が最後に見出したのは父親との絆だったのだ。
聖書に描かれた「神の怒りでバラバラに人間」というテーマを現代社会に移し替えて描かれたこの作品。
でも人は完全にバラバラではなく、弱いが目に見えない糸で繋がっているという主張が救いを与えている。
このバベルのエピソードをモチーフにして3つのドラマが展開される。
この作品を考えるにあたり、まずとらえるべきは『人間はバベルの塔の残骸』だということ。
モロッコのアーメッドとユシフ、アメリカ人夫婦のリチャードとスーザン、ベビーシッターのメキシコ人・アメリア、聴覚に障害を持った女子高生のチエコ、彼らは『バベルの塔の残骸』『バベルの塔を組み上げていた石』。
かつてはひとつにまとまっていたものが、神によってバラバラにされて今はそれぞれ孤独に生きている。
その象徴が日本の少女チエコ。
彼女は都会を彷徨うが少しも孤独が癒されることがない。
ハダカになって愛を求めるが拒絶される。
ディスコミュニケーションもバラバラになった人間の姿。
言語の違いによるディスコミュニケーション。
銃による悪戯が世界を揺るがすテロ事件になってしまうディスコミュニケーション。
ベビーシッターで面倒をみている子供たちを結婚式に連れて行っただけなのに誘拐と間違えられるディスコミュニケーション。
人間は簡単なことも意思疎通することが出来ず争いを起こしている。
人間の孤独。
一方、人間にはバベルの塔としてひとつのまとまっていた痕跡がある。
これがこの作品のもうひとつのテーマ。
3つの事件は偶然を含めた因果関係で繋がっている。
妻が自殺した銃を綿谷はモロッコ人に銃をプレゼントする→その銃がまわりまわってアメリカ人旅行者スーザンの狙撃事件に→その狙撃事件のためにベビーシッターはスーザンたちの子供をメキシコの結婚式に連れて行くことに。
バラバラに見えて人間は見えない糸で繋がっているのだ。
ひとつにまとまっていた痕跡は他にもある。
アーメッドとユシフと父親の親子の絆、リチャードとスーザンの夫婦の絆、ベビーシッター・アメリアが息子の結婚式に参加したいと切望する親子の絆。
それらはすぐに切れてしまいそうな弱いものながら、実は繋がっている。
バベルの塔としてひとつにまとまっていた昔を忘れていない様。
ラストシーン。
女子高生のチエコは父親と抱き合う。
孤独で都会を彷徨った彼女が最後に見出したのは父親との絆だったのだ。
聖書に描かれた「神の怒りでバラバラに人間」というテーマを現代社会に移し替えて描かれたこの作品。
でも人は完全にバラバラではなく、弱いが目に見えない糸で繋がっているという主張が救いを与えている。