平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

ハチミツとクローバー(映画版)

2008年05月11日 | 邦画
 映画「ハチミツとクローバー」。
 テレビドラマの方を先に見ていたので見比べてみたかった。

★映画とドラマ、この作品で一貫して言いたかったのは『若さ』。
 『若さ』とは何かと言うと……

 無意味なことに突っ走れること。

 その象徴が竹本(櫻井翔)。
 彼は行く先も決めずにひたすら自転車を走らせる。
 オトナなら目的のない旅をしない。
 枠の中に収まった決められた旅。
 だが青年の旅は違う。
 行く先を決めずに走って出会ったことに自分は何を感じるか?どんな言葉を持てるか?
 それにワクワクする。
 感じたこと、得た言葉がすべて自分を形作る。

 竹本は「はぐみ(蒼井優)や森田(伊勢谷友介)の様な才能ある人間はない平凡な人間」だと自分を規定し「勝つとか負けるとかがイヤで、というより負けるのがイヤでリングにあがることをしなかった人間」だった。
 竹本は若さの可能性を否定してしまっている。
 既に自分の行き先を決めているオトナ。
 そんな彼が行く先のないをする。
 動機は目の前の苦しさから逃げるためであっても、竹本が初めて行った『若さ』の行為だった。

★その他の登場人物たちも『若さ』をひた走る。
 
 真山(加瀬亮)とあゆみ(関めぐみ)は報われないとわかっていても自分の恋に走らずにはいられない。
 オトナなら報われないならやめてしまうし、恋の熱情などとっくに消え失せてしまっている。

 はぐみと森田はオトナの世界と戦う。
 今まで自由に描いてきたはぐみをオトナはコンクールという枠にはめようとする。
 森田はオトナによって自分の納得いかない作品に500万の値を付けられる。

★そして物語のクライマックス。

 竹本は行く先のない旅を経て次の様な言葉を得る。
 「今逃げて全部なかったことにしてしまったら、君に出会ったことすらなくなってしまう」
 彼はリングに上がる。
 それがノックアウトされることであっても自分の生きた証として胸に刻まれる。
 上がらなければ不完全燃焼だ。

 真山とあゆみは共に報われなかった恋の戦士として心を通わせる。
 真山があゆみをおんぶしていくシーンは印象的だ。

 はぐみと森田はオトナの世界にはっきりとNoと言う。
 森田ははぐみの目の前で500万の彫刻に火をつける。
 はぐみに「おまえもオトナの世界に取り込まれるなよ」と燃やすことで伝える。

 作品としては映画版の方がテーマが凝縮している感じですね。

 いずれにしても『若さ』とは

・行き先のない旅に出られること(=報われないかもしれないことをやれること)
・恋の熱情に任せて走れること
・オトナの世界にNOと言えること



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする