平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

太陽と海の教室

2008年07月22日 | 学園・青春ドラマ
★今求められる新しい教師像
 過去テレビドラマは様々な教師を登場させてきた。
 暴走族あがりの教師~GTO
 ヤクザの組長の娘の教師~ごくせん
 弁護士で受験のプロの教師~ドラゴン桜
 差別・支配が当然というこれまでの逆説で登場した教師~女王の教室

 これらインパクトのある教師たちに圧倒され、金八先生は凋落。
 正論を押しつけるウザい親父になってしまった。

 さて「太陽と海の教室」の櫻井朔太郎(織田裕二)はどうか。
 ウザい熱血教師の域を出ていない。
 キャラクターとしてひねりがない。
 ひねりがないのはまだいいとして非常に自己中なのが気になる。
 海で子供を助けたのはいいが、ずぶ濡れのままなのは自己中。
 普通は着替えてくるでしょう。こういうのを個性とは言わない。
 授業はいきなりにらめっこ。
 意図としては幼稚園から始めよう、もうひとつの意図としては「俺と向き合おう」ということだと思うが、説明されなければ生徒たちの教室から出ていくという反応は当たり前。
 朔太郎は自分本位の思い込みで説明をしていない。少なくとも金八先生はこういう時、どんな意味があるのか説明する。
 まあ作劇上のウソと言ってしまえばそれまでなのですが……。

 この様に朔太郎は一見すると熱血教師でかっこよく見えるが、客観的に見ると自己中教師だ。
 さらに引いてみると頭のおかしな教師になる。
 だって濡れた服を着た先生でいきなりにらめっこをする先生なのだから。
 そしてその極めつけがチェーンソー。
 「GTO」でもハンマーで壁を壊すという同じ様なシーンがあったが、暴走族あがりの教師ということでまだ許容できる。

 この様に現在は熱血教師がリアリティを持ちにくい時代。
 新しい教師像が生まれにくい時代だ。

★敵は……
 こんな朔太郎が相手にする敵。
 第1話は親の力をカサにきてパシリを強要する少年。
 非常にちゃち。
 月9でしかも織田裕二さんが相手にする相手ではないでしょう。 
 もうひとつの敵は理事長に象徴される偏差値教育だが、これはパターン。
 いい加減、受験を敵にするのはやめたらどうか?
 学校教育にはもっと別に問題がある様に思える。
 テーマの点でも学園ドラマは転機に来ている。

※追記
 熱血教師には熱い言葉が必須だが、今回は「あがけ」「誇りを持て」。
 「あがけ」ではこんな例えが使われた。
 青い画用紙に青いペンで絵を描くようにすぐには結果が見えないかもしれないけど、あがくことで心に残るものがある。
 「誇りを持て」ではこんな言い換え。
 基準は他人の目じゃない。自分が胸を張れるかどうかを考えろ。
 メッセージとしては素晴らしいが、物語が陳腐ではイマイチ。

※追記
 チェーンソーで破壊された看板の写真が水泳で順番を待つ洋貴(岡田将生)のもとに写メで届く。
 これで洋貴は闘う意思を持つ。
 写メールは作劇上便利なアイテムだ。


コメント (4)
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