新相棒・冠城亘(反町隆史)は法務省の官僚。
法務省は検察庁に近い省庁で、今までの内閣府・国家公安委員会の警察庁のラインとは違うんですよね。
このあたりがドラマにどう影響してくるか?
さて、冠城亘。
「か」で始まり、「る」で終わる相棒の法則は踏襲された(笑)
他人の運転する車に乗るのもイヤなようだ(笑)
女性関係は幅広く、結構すっぽかしている(笑)
武闘派ではなく、身代わりになったり、戦ったりするのは伊丹(川原和久)芹沢(山中崇史)の仕事(笑)
モノマネは、米沢さん(六角精児)!
「俺は味方だ」と言っていたのは「正義の味方」ってことだった(笑)
事件捜査に関しては、法務省なのでシロウト。自分でもそれを認めている。
しかし、相手の懐に飛び込むために、右京さん(水谷豊)の悪口を言うしたたかさも。←右京さんには「僕は物事を曲解し、事実をねじ曲げる人間ですか?」とたしなめられました。
一方、熱い熱血派の側面もある。
刑務官の増渕(阿部丈二)に暴力による支配を強制されていることに悩む刑務官に、
「したくなきゃしなくていい! 自分の理想の刑務官になればいい」
と、熱く語る。
冠城は官僚出身で、どちらかというと神戸尊の系統だが、神戸よりはワイルドな感じ。
デートをすっぽかす女性も毎回、違ってそう(笑)
さて、今回の事件。
幽霊のトリックは荒唐無稽な感じがするが、受刑者の梅津源平(井之上隆志)のキャラクターが面白い。
暴力しか知らない野獣のような男が本を読み、法律など、さまざまなことを学び、刑務官の理不尽に対して言葉で闘うようになる。
法律の条文を持ち出して、「拡大解釈し過ぎやないんかい!」←安倍首相の集団的自衛権に対する揶揄か?
こうした梅津に対し、受刑者から信者が出て来るのも現代的だ。
信者。
少し前では、オウム真理教の麻原彰晃信者。
最近では、安倍首相信者。
いずれも、すべてを信仰の対象に身を委ねて、自分で何も考えようとしない。
梅津の例で言えば、信仰の対象を真似て胸に自傷し、仕組まれた梅津の言葉を信じて殺人まで犯す。
それが少しもおかしなことだと思わない。
これを右京さんは次のように表現する。
論理的に説明できないもの。幽霊、妄想。
一方、既存の権威は、梅津のような存在が怖いんですよね。
刑務所における刑務官は権力ですが、彼らが怖れるのは、自分たちに対抗する権威が出て来ること。
受刑者は梅津の言葉を信じ、刑務官を侮るようになる。
これに対して、恐怖の支配が効かなくなった刑務官はさらに恐怖政治を強いるようになる。
もっともこうしたパワーバランスの戦いは別に刑務所だけのことでない。
世の中のあらゆる場所でおこなわれている。
人間社会は綱引き、永遠のシーソーゲームなんですね。
今回のサブタイトルは、『フランケンシュタインの告白』。
フランケンシュタインとは、一般に人造人間のモンスターの名前だと思われているが、実はモンスターを造った博士の名前。
梅津というモンスターを造ったのは誰か?
これが後半15分の物語になっている。
法務省は検察庁に近い省庁で、今までの内閣府・国家公安委員会の警察庁のラインとは違うんですよね。
このあたりがドラマにどう影響してくるか?
さて、冠城亘。
「か」で始まり、「る」で終わる相棒の法則は踏襲された(笑)
他人の運転する車に乗るのもイヤなようだ(笑)
女性関係は幅広く、結構すっぽかしている(笑)
武闘派ではなく、身代わりになったり、戦ったりするのは伊丹(川原和久)芹沢(山中崇史)の仕事(笑)
モノマネは、米沢さん(六角精児)!
「俺は味方だ」と言っていたのは「正義の味方」ってことだった(笑)
事件捜査に関しては、法務省なのでシロウト。自分でもそれを認めている。
しかし、相手の懐に飛び込むために、右京さん(水谷豊)の悪口を言うしたたかさも。←右京さんには「僕は物事を曲解し、事実をねじ曲げる人間ですか?」とたしなめられました。
一方、熱い熱血派の側面もある。
刑務官の増渕(阿部丈二)に暴力による支配を強制されていることに悩む刑務官に、
「したくなきゃしなくていい! 自分の理想の刑務官になればいい」
と、熱く語る。
冠城は官僚出身で、どちらかというと神戸尊の系統だが、神戸よりはワイルドな感じ。
デートをすっぽかす女性も毎回、違ってそう(笑)
さて、今回の事件。
幽霊のトリックは荒唐無稽な感じがするが、受刑者の梅津源平(井之上隆志)のキャラクターが面白い。
暴力しか知らない野獣のような男が本を読み、法律など、さまざまなことを学び、刑務官の理不尽に対して言葉で闘うようになる。
法律の条文を持ち出して、「拡大解釈し過ぎやないんかい!」←安倍首相の集団的自衛権に対する揶揄か?
こうした梅津に対し、受刑者から信者が出て来るのも現代的だ。
信者。
少し前では、オウム真理教の麻原彰晃信者。
最近では、安倍首相信者。
いずれも、すべてを信仰の対象に身を委ねて、自分で何も考えようとしない。
梅津の例で言えば、信仰の対象を真似て胸に自傷し、仕組まれた梅津の言葉を信じて殺人まで犯す。
それが少しもおかしなことだと思わない。
これを右京さんは次のように表現する。
論理的に説明できないもの。幽霊、妄想。
一方、既存の権威は、梅津のような存在が怖いんですよね。
刑務所における刑務官は権力ですが、彼らが怖れるのは、自分たちに対抗する権威が出て来ること。
受刑者は梅津の言葉を信じ、刑務官を侮るようになる。
これに対して、恐怖の支配が効かなくなった刑務官はさらに恐怖政治を強いるようになる。
もっともこうしたパワーバランスの戦いは別に刑務所だけのことでない。
世の中のあらゆる場所でおこなわれている。
人間社会は綱引き、永遠のシーソーゲームなんですね。
今回のサブタイトルは、『フランケンシュタインの告白』。
フランケンシュタインとは、一般に人造人間のモンスターの名前だと思われているが、実はモンスターを造った博士の名前。
梅津というモンスターを造ったのは誰か?
これが後半15分の物語になっている。